離れていることが心を近づける
朝晩の空気に、冷たささえも感じるようになった。
急速に秋がやってきた。
夏が好きな私もさすがに今年の暑さは堪えたし、
何より体感温度に大きく関わってくる湿度がぐっと低くなって正直ほっとしている。
でも、なぜかやっぱり、少し淋しい。
今年はひときわそんな気がする。
「これから さみしい 秋です」
とは、長年番組をご一緒している因幡晃さんのヒット曲「わかって下さい」の一節だけれど、
もしかしたら誰しもに共通に巡ってくる季節を通じて感じる哀愁みたいなものに、多くの人が共感したのではないかと思う。
そういえば、哀愁の愁の字にも、秋って入ってる…
その哀愁の中にいると、人の温もりや優しさがより身に染みるし、
もっと誰かに心を寄せたくなるのかもしれない。
全く意図していなかったけれど、秋は友人たちと定期的に会う約束をしている季節でもある。
仕事や子育て、住む場所、それぞれの環境が変化して、学生時代や若いころのようには気軽に会えなくなってしまったので、
あえて時期を決めて集まる調整を毎年してきた。
一方、以前お仕事でご一緒した仲間とは、毎年身近な秋の行楽を楽しみつつ、近況報告と情報交換をしている。
このほかにも、たまたま秋に、久しぶりに会おう、という話に発展することが多い。
だから秋は毎年、仕事と家庭のスケジュールの合間をぬって友人たちとの集まり調整をするものだから、
私にとってはなかなかに忙しく、そして楽しい季節なのである。
でも今年は、会えるだろうか。。。
別の友人たちとはオンラインで会うことを決めた。
春のステイホーム中に(って何かのキャンペーンのようだけど再び無いことを願う)一度オンライン会を開催し、
本当に随分と久しぶりに、普段は参加できない遠方に住む友人が参加してくれた。
こういう手があったのか、と皆が気づけた瞬間でもあったけれど、
でもそれはやっぱり、この状況になってしまったから増えた選択肢であって、
根底には、直接会いたいよねっていうのがあったからこそ、
今まではオンライン会なんていう選択肢自体が浮かばなかったのだと思う。
この友人たちとは、その遠方に住む友人の誕生日に毎年カードを送っている。
おそらく10年以上続いている、秋の恒例行事。
今年はカードもリアルではなく、オンラインで。
グループのメンバーはweb上の一枚のカードにメッセージを入力し、完成したら送信。
日時指定もできる。
受け取る側だけでなく送った側も、メンバーであれば一年間は何度でも閲覧可能。
もちろん写真に撮っておけば保存はできるわけで、リアルカードと同じようにずっと手元に置いておくこともできる。
誕生日にカードを送るという些細な行為だけれど、
離れて暮らす友人との繋がりを大切にしたいというのはもちろん、
わりと会いやすいメンバーが、直接会うのとは別に一つにまとまる年に一度の儀式のような感じで、
気持ちの繋がりを感じられるから、私は好きだ。
どんなに状況が変わっても、たとえ形を変えても、繋がり続ける関係はある。
そこに、離れている距離や会えない時間の長さは、あまり意味を持たない。
最近読んだ星野道夫さんの著書「旅をする木」にこんな一節があった。
「寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人とを近づけるんだ。」
結婚を機に右も左も言葉も分からないアラスカで暮らすことになった星野さんの妻に、アドバイスとして星野さんの友人がかける言葉。
これから私の苦手な寒い季節がやってくるけれど、
こんなふうに考えれば、寒いことも会えないことも、そんなに悪くない。
むしろ、素敵だ。