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⑤YUKARI ジャズ・フルーティスト No.3 JAZZとの出会い

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幼少期から楽器を習ってはいたが、10代にして、既にクラッシックの世界での行き詰まりを感じ始めていた。
クラッシック音楽の中で演奏するというのは「あるべき形」というのが決まっていて、
その楽器をどれだけマスターして、
作曲家の意図を組み、完璧に「再表現」することが演奏家の使命でもある。
そこに自分の居場所はない、と感じていたのだ。     

進路を決める際、周囲からは音楽家で生計を立てていくのは難しいと反対され、
音楽大学への進学は断念した。
趣味にとどめておこうと、音楽に対しては消極的になり、
もう一つの夢である通訳を目指すべく、外国語大学を選んだ。

東京に出れば、音楽を続ける別の手段もあるかもしれない、という密かな野心もあった。

・JAZZとの出会い

そんな経緯(いきさつ)でスタートした東京の学生生活にも慣れてきた頃、JAZZに出会う。
ドイツ語学科の先輩が学祭に出演するボサノバのグループのフルート奏者を探していて、
声をかけられたのがきっかけ。

偶然JAZZ研究会を覗いたことがYukariさんの次なる扉を開けてくれた。

クラッシック音楽をやっている時も、「即興」という言葉も知らず、心のままに演奏し、作曲をしていた。
が、JAZZの「即興」という形態と出会い、やりたかったことがそこにあると感じた。

「自分の周りに音楽をやっている人がいなかったので、相談できる人もおらず、そういう形があることさえ知らなかったのです。
一気に方向性が見えた気がしました」
     

時期的にはちょうど、20歳の頃、バックパッカーで旅を始めた頃だった。

通っていたのが東京外国語大学ということもあり、インターナショナルな環境で、
世界各国から先生や学生が集まっていた。
当然、生活習慣も思考も異なり、彼らの行動の源である異文化に直接触れてみたくなったのが旅に出た動機。

大学2年生くらいから講義やゼミを調整して、
夏の3か月、冬の2か月をバックパッカーでヨーロッパ、アジア、アメリカやメキシコ等20か国以上回った。

今思うと20代だからできたことで、募る思いに任せてインドやアフリカにも行った。
インド北部の「カシミールの湖」とモロッコの「マラケッシュのマーケット」は、
今でも心象風景になっているくらい強烈に心を打たれた。

内観してみると、自分が人の助けを借りないとなにもできない未熟な存在だと痛感していた。
敢えて危険なところに一人で行ってみたかったのだ。

そこに身を置いてみて初めて実感できたのが、自分が自然の一部であり、
「生かされている」という意識、そして「命の尊さ」だった。    

インドでは、今でも続けているヨガの素晴らしいマスターにも出会う。
当時はヨガという言葉も知らなかったくらいだった。

見様見まねで瞑想もはじめ、心身ともに深呼吸することによって、
はじめて自分の深部と向き合うことができ、
次第に自分を肯定的に見られるようになっていった。

それまでプロの音楽家になることを家族に反対されていたこともあって、
どこか自己否定感が強かったが、ヨガを通して自分を解放することができた。     
体得した自分の心の居場所はいまも変わらない。

自分は何をしていたら幸せなのだろう、と自らに問いかけたときに、
やはり答えは音楽家になることだった。
その時期に今につながる種が蒔かれたのだと思う。   


フルートの歴史を辿ると、4万年前の太古の昔から、社会での絆を強め、
コミュニケーションをとるツールであったと考えられている。
音楽の役割は現代でも不変であること、万国共通語で、
誰しもの心に響くのだと考え至る。
その思いに導かれるように、その後Yukariさんはフルートを携え
世界各地を旅することになる。

「フルートはまさに心の鏡だと思います。
私にとって人生で何よりも幸福で愛情に満ちた時間とは、
演奏中、自分と出会える瞬間なのです」     

しかし、大学卒業後は、安定した職業を選んで欲しいという
親の強い希望に抗うことができなかった。

少しでも音楽の匂いのする場所を選び、六本木にあるラジオ局に就職する。

朝3時に起き、4時に家を出て、朝6時に始まる番組のアシスタント・ディレクターとして働き始めた。
翻訳をしたり、海外の興味深い仕事をしている人のインタビューをしたり、
曲選びも担当した。

だが、結局そこには長くはいられず、半年くらいで辞めることになってしまう。

音楽をやりたい気持ちを抱えながら、職場環境にも上手く馴染めずにいた。
夜昼逆の生活と仕事量も大変な負荷となり、
そのうち原因不明の体調不良に悩まされはじめた。
浮腫みから膝に痛みもでて歩けなくなってしまった。

当時の社長に事情を説明しているうちに、封じ込めようとしていた自らの気持ちを
再確認することになる。

「自分が働くのは日本の企業ではないと感じていました。
外国で生活したほうが、自分の個性を活かせる気がなんとなくしていていました」
     
仕事を辞め、音楽家になると再び心に決めた。
(次回に続く)

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