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小声コラム#14 それすらできない日だってある

充実した1日を送るためには、効率と生産性を高める!
今日やりたいことを書き出して、順序立てて時間を区切って、それに沿って実行する!
みたいなことを本で読んだり、仕事をしてると耳にすることがあります。
発信者はたいてい、声が大きくて、ビジネス論をすぐ語るような人たちのような気がします。(偏見です)

"まあ、そのとおりだよな”と思う反面、"それすらできない日だってあるよな"とも思います。

昔(ってほどでもないけど。)はボクも、やれ効率だ、やれ生産性だ。というものを重視して、教え込まれたままに働いていました。社会人になって働くってそういうもんなんだ。しんどいな。って思いながらも、それがあたりまえなら仕方ないか。という具合に。

さらには、SNSを見てると、仕事のできる人の特徴!的なタイトルで、だいたい10個くらいの項目で箇条書きされたものを目にします。
若い頃(っていえるほど年いってないけど。)は、コレとコレはできてないかもな、ちゃんとしないと!なんて思っていました。

そういった正しいことって、"まあ、そのとおりだよな"と思うのですが、仕事のできる人の特徴として、一纏めに括って提示してしまうと、"ああ、自分は仕事ができない人間なんだ"と感じてしまい、そこから頑張ろうとしても、踏ん張れない人には苦しいんじゃないかなあと、今のボクはそう思うようになりました。

正しいことって、かならずしも万人の正解であるとは限らない。
仕事のできる人や、ビジネスを好んでする人は(そんなつもり毛頭ないのでしょうが)そういった踏ん張れない人のことまで、心を配れない人が多いような気がします。(偏見です)
でも、それは当然のことで、自分の効率や生産性を高めるためには、周りの効率や生産性を高めた方がいいに決まっていますから。

で、それはそうとして。
ここで、仕事ができないんだと落ち込んでしまう人は、どうすればいいのでしょう。
向いていないとひらき直るか、苦しいけどなんとか頑張るのか。
自分が仕事ができなくて、誰かに迷惑をかけてしまうのではないかと考えてしまう優しい人も、このタイプには多いような気がします。

ボクは"それすらできない日だってある"って事実を受け入れることが大事なのではないかと思うのです。
そして、そもそも基準なんて全て、何者かの思惑があって作られるものなので、自分に当てはめるべきかどうかを考えてみてもいいではないでしょうか。

ボクは小学2年生のときに、算数のテストで100点が取れなくなって、(98点とかなのに)自分は算数ができないんだと思ってから、苦手意識が生まれました。
今思えば、そのせいで"算数が嫌い"ということにすり替わっていたんだなと思います。

だから、誰かが決めた基準(算数でいえばテストの点数)と、自分の気持ちは無理に当てはめなくても大丈夫だと思うのです。
"できないけど、そういう日もあるよな"くらいで、またできる日にやれば十分じゃないかなと。


うんうん。きっとそうですよ。大丈夫。
今日まったく何もできなかったけど、落ち込む必要ないよ。おれ。


#14 それすらできない日だってある


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