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岡山の四聖人

■11月の勉強あれこれ

 先月末までに提出したかった社会福祉士通信課程のレポートと答案が、まだ仕上がっていません。提出期限は来年1月13日なので十分余裕はあるのですが、自主的に取り決めた締め切り日があり、それを守れなかったことに少し罪悪感を感じています。

 一方、放送大学の通信指導は早々に完成させたので、Webでさっさと提出しました。10問全問正解、自習型問題は9問正解。老齢基礎年金の計算問題が分かりませんでした(;´Д`)

 社会福祉士の勉強では、記述式レポートを毎月6本、選択式問題を平均40問ほどメール添付で提出しています。
 予定通りに進めると、3月にはすべて提出し終えるので、あとは再来年の本番に向け過去問や模擬をバシバシ片付けていく予定です。


■岡山という土地柄

 突然ですが、わたしの郷里、岡山へはかれこれ30年ほど帰郷していないので今の姿が全く分かりませんが・・岡山駅前は随分変わったと聞きます。
 岡山という土地は日本で一番古い藩校を開いた場所で、岡山藩主・池田光政公が開いた閑谷学校もあり、学問の盛んな土地です。

 社会福祉士の年表や人名一覧を辿っていくと、岡山から福祉の先駆者が相当数輩出されている事に驚きます。中には、直接福祉に携わっていない大原孫三郎や児島虎次郎という、小学時代に習った岡山の偉人も登場します(石井十次の絡みですね)。

 岡山県には現代に繋がる福祉の礎を築いた、4人の聖人がいます。
 
 石井十次、留岡幸助、山室軍平、そして、アリス・ペティ・アダムス。

 なかでも、アダムスの開設した「岡山博愛会病院」は子供のころ、何度も病院前の往来、電車通りを母や祖母に連れられ歩いた思い出深いスポットです。

 当時、博愛会病院は東山という場所にありました。岡山電気軌道が運行する路面電車の発着場所である、東山という土地。その通りには山陽女子(今は山陽高等学校なのですね!)があり、「ニルス」という美味しいワッフルのお店があり、古い喫茶店には100円で引ける占いおみくじ器が置いてありました。

 東山から東の郊外へは小さな峠があり、そこから「はだか祭」で有名な西大寺まで県道がうねうねと続いていました。小山を背負った東山は、中心部から広がるささやかな市街地の最後の地でした。

 あのころ、小さなわたしは、博愛会病院の屋上にある避雷針と十字架がむしょうに恐ろしく、特に夕日に影となった十字架は、

「ここで死ぬ人がいるんだ・・」

 と、考えるきっかけにもなりました。
 スイッチが入ったように、死ぬのが怖くて、布団の中で泣きました。


■西日本という土地と、部落問題

 岡山で福祉の礎が築かれたのは、もしかしたら、西日本特有の貧困、部落問題などが根強く関係していたのかもしれません。

 小学校では、部落について学習する時間が定期的にあり、体育館に集められると、モノラルのバラック小屋の映画や、土手で暮らす親子のミニドラマを見せられたりしました。

 そして、この時代は、障害や差別が商売として成り立っていた時代でもありました。

 岡山城のお祭りには見世物小屋が建ち、1000円で「蟹男」や「蛇女」、ホルマリン漬けの赤ちゃんを見る事ができました。

 ふと、思います。
 こういう断片的な体験は、今、福祉の仕事に関わっているわたしと、決して無縁じゃない、と。


             * * *

 今回は十字架の画像をお借りしました。
 子供時代に見たもの、体験したことは、今でも何かの拍子に映像となって(少し脚色されて)思い出します。

 博愛会のあの十字架はもっと静謐だったのだと思います。

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