ダーウィン「種の起源」(1859)/誰もが貴重な存在であるその理由
1月に読んだ本の中でダントツで良かったのが、ダーウィンの「種の起源」。ダーウィンの進化論を根拠に「この世界は弱肉強食であるから弱い者は滅びて当然」的な言説を目にすることがあるけれど、まったくの誤解で、むしろ「弱い者」が生きてこそ「人間」という種の生存が担保される、そんなメッセージを私は受け取った。
ダーウィンは1809年生まれのイギリス人。父のようになろうと一時は医学を志すも、後に神学の道に転向。ただもともと自然科学に興味があり、イギリス海軍の測量船、ビーグル号の船長の話し相手に選ばれる。南アメリカ大陸をぐるっと一周後にオーストラリア、南アフリカをまわる、そんな5年にもわたる航海で得た知見から「自然淘汰」という生命の法則に気が付いた。
上記のことから「自然淘汰」という考え方にいたるまでの丁寧な観察と論理的思考の見事さににずっと感嘆していたのだけど、読み終わって、それ以上に感じたのは、どんな人間にも生きる意味がある、という深い納得だった。なぜ各地の動物達は少しづつ異なっているのか。それはその種の中のちょっとした特徴の違いが、その種の存続の存亡の鍵を握ったから。たとえば急激に地球の温度が下がるようなそんな気候変動があった際、寒さに対抗しえる体毛の濃い個体だけが局所的に生き残る。そしてそんな特徴をもった個体が繁殖し、少しづつ種は分化していく。
そしてポイントは、次に地球の温度が上がるような、そんな気候変動が起こってしまったら、今度はその特性が不利に働くことだ。今の環境に適応することだけど重んじて体毛の濃い個体の中で比較的薄い個体を排除するようなことをしたら、その種の存続の可能性は逆に下がる。
たとえば原始時代には体力が強いものが重宝された。また多少向こう見ずな性格の方が、人間にとって外敵ばかりの世界で生き延びるためのキー的存在だったと思う。ところが今の時代は「体力」より「知力」が「人間」を発展させる鍵になっている。
もし原始時代に体力がないやつは役に立たないから殺してしまえ、という方針だったなら。画一的な特徴しか持たない種は、ちょっとした環境の変化や外敵の思わぬ進化によって滅びてしまうことをダーウィンは発見した。
つい最近も、新型コロナについて、とある遺伝子が発症の鍵を担っていたことが明らかになった。
その遺伝子を持つ人ばかりの世の中だったら、新型コロナで人類は存続の危機だった。そしてその遺伝子を持たないことがどんな重要な意味を持つか、は、こうやって後になってから初めて分かることで、先回りすることはできない。
ひとりひとりが生きること、色々なタイプの人間がいること、多様性を維持することが種の存続にとってキーとなる。ダーウィンが「種の起源」で証明したのは、そんなことだ。
「ひとりひとりのいのちだいじに」の明確な理由が150年以上も前に解き明かされていた。光文社古典新訳文庫の解説を書かれた渡辺政隆さんがおっしゃるように、「『種の起源』を読まずして人生を語ることはできない」
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