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『西の魔女が死んだ』

#note100本ノック
Day 60

小学校の先生だった頃、読みたかった本。

梨木香歩(1996) 『西の魔女が死んだ』.小学館

を、今さらながらにして、読んだ。


結論を先に言おう。

これから、小学生向けに本をおすすめしてくださいと言われたら、

低学年:『ラチとらいおん』
中学年:『窓ぎわのトットちゃん』
高学年:『西の魔女が死んだ』

の3つにしようと思う。

それくらい、素敵な本だった。


おばあちゃんのお家

主人公の「まい」は、学校になじめず、持病の喘息もあって郊外のおばあちゃんの家にいくことにする。

まずこの経緯が、まさに中学校のときのわたしのようでひとごとではなかった。

わたしは学校になじめず、なぞの気管支炎を抱えて病弱だったし、何より真剣に、おばあちゃんの家の子になりたいと願っていた中学生だったからだ。

そして実際に、中学1年生の夏に部活を休み、おばあちゃんの家にひとつきほど滞在した。

この本はイギリスのお庭のようなおばあちゃんの家だったが、わたしのおばあちゃんは京都の街中に住んでいて、自転車屋を営むおじいちゃんと二人暮らしだった。

主人公の「まい」と自分の名前が似ていることもあってか、もう本当にまいの気持ちがわかりすぎて引き込まれた。


上等な魔女

豊かに生きること、がこの本では「上等な魔女になること」として語られていた。

おばあちゃんはまいに、「上等な魔女」になることの必然性や「上等な魔女」のあり方を示しながら、生きるということを伝えていく。

読み進めながら、わたしのおばあちゃんも、わたしに伝えてくれていたことがあったような気がしてきた。

よくおばあちゃんはマキにこう言った。

マキはほんまに泣き虫やなあ。

マキのおばあちゃんのことば

わたしはその頃、というかもう小学校のころからずっと、泣きたいくらい嫌なことがいっぱいあった。でも「泣いたらあかん」と言い聞かせられて育っていた。(少なくとも自分はそうとらえていた)

だけどおばあちゃんだけは、わたしが泣くことを許容してくれていた。(少なくとも自分はそう感じていた。)


「上等な魔女」は感情のコントロールの意識が高い。

大人になったマキは思う。
「泣くこと」って、止めるべきことじゃないよねえ。

上等な魔女になれているかどうかはわからないけれど、少なくとも小さなマキが苦しめられていた「泣いたらあかん」みたいな、世間の常識みたいなものにはだいぶしばられなくなった自分がいるなあ。


「生きる」を伝える

『西の魔女が死んだ』のおばあちゃんも、わたしのおばあちゃんも。

というか、世界のおばあちゃんたちはみんなそうやって、次の世代や次の次の世代に寄り添いながら、「生きる」を伝えているのかもしれないな。

そんなことを思った、とても清々しい本だった。

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