いやなことにフォーカスしない。
いやなこと、と言っても、いやだけど必要なことはある。
いやだけど向き合ったり対応したりしないといけないことはある。
それは必要なので仕方ないとしても、基本としては、いやなことなんかにエネルギー割きたくない。
いやなことに時間とられたくない。
だから、いやなことについて延々と話したりしている人の気持ちがよくわからない。
いやだよねむかつくよね、こんなのひどいよね、とかずっと話題にしている間考えている間、いやなこと嫌いな人とかに意識を向けているわけじゃん?
そのいやなこと嫌いな人のために自分のエネルギーとか時間とかを使っていることになる。
そんなの余計なむかつくよねって思って。
*
いやなことがあったとき、愚痴ったりして発散したい、って気持ちはわかる。
わーっと吐き出すことで、すっきりするならありだと思う。
でも吐き出すだけだなくて思い出してまたむかついていやな気持ちになって、ってそんな時間になってしまうなら、そうなるくらいずっと話したりしてしまうなら、やめた方が楽じゃない?って思う。
いやな時間が増えて、なんならいやな気持ちもふくらんで、って本末転倒だ。
話して共感してほしい、って気持ちもわかる。
同じように感じる人がいると安心するしね。自分が間違ってない、自分が正しい、って感じられたりもする。
そういうために話したく気持ちはわかるけど、そこで盛り上がったりして延々と話したりするのは意味なくない?って思ってしまう。
「聞いてーどう思う?」「いやだよね、大変だったねー」って終わりでいいじゃん、って。それ以上いくら話しても、別に安心とか共感されて嬉しいとか以上の何かが得られると思えない。
*
それに、話題にする、愚痴をいう、ってことは、自分はそれですっきりしたとしても、相手に、せいぜい特に嬉しくもないレベルの、なんなら聞いていやな気持ちになることを、聞かせていることになるし。
共感求めて話し続けたりするのは、わざわざ同じようないやなことを引きつけてるようなものだと思う。
いやなことを拡散したりしても全然意味ないじゃない?
解決のためにするならともかく、ただ話すだけなら、たくさんの人のいやな時間を増やすだけじゃない?って思う。
*
だから、自分では、あまりいやなことをわざわざ話したりしてないつもり。愚痴ったり話したりしても「聞いてーいやだったー!」「それはやだよねー」で終わりのつもり。それで終わるような聞き方の人にしか話さないでいるつもり。
話したり書いたりするときには、ネタとして昇華させるって方法とることもできるし、私はその方がいろいろ考えられたり整理できたりして好きだったりもする。
自分はいやだとかおかしいとか思っても、相手には相手の正義があったりもするし。
だからといって、いやなことをためこんだり耐えたりもよくないので、使いようだとは思うけど。
単に私は、いやなことに消耗するのがほんといやすぎて、少なくすることで心地よさを増やしていたいだけで。
できるだけ好きなものきれいなものを見ていたくて、そのためにいやなことに費やす何かを少なくしたいと思う。
*
ライティング・ライフ・プロジェクト1期募集中です。
お問い合わせなどはこちらからどうぞ。