AIと人って何が違う?
AIと人との差はなんだろう?と考えたとき。
過去データなのかイマココなのか、とか、普遍的な答えなのか個別の自分だけの答えなのか、とかもありそうだと思っているけども、ほかにもいろいろあると思う。
もうひとつ思うのは、AIは取得できるすべてのデータを取得してしまうのではないかということ。
人なら、気づいたけど知らないふりとか、気づけるはずなのに気づこうとしないとか、そんな、意識的も無意識にも情報の取捨選択をしてしまうと思うけど、AIはその取捨選択をしないのではないか。
*
人の場合、気づいてもあえて言わない気遣いとかがあったりする。
見聞きしたすべてを伝えたりすると、相手を傷つけてしまうこともあるし。
自分と相手との関係性の中では言う必要のないこととかもあるし。
自分を守るためなどで気づいてないふりをすることもあるだろう。
でも、データを取得して解析してアウトプットする、というだけだと、わざとデータを抜くとか一部アウトプットしないとかの選択肢がなさそうだ。
AIと将棋のプロの直観のことについて聞いていたときに、AIは気づかないとかできないですよね?というのも聞いてみた。
やっぱり、AIにはできないという答えを聞いて納得していたのだけど、後からふと、「気づかないでいる」ことを学習することもできるのではないかとも思ってしまう。
表情とか声とかも読み込んで学習することができるようになったら、すべて伝えてしまったときの相手やまわりの反応を収集することか、ほかの人の見てときにはわざと伝えていないこととそのときの反応とかを学べるかもしれない。
それは、人が子供の頃はそういった気づかい的なことがわからずに正直にすべて話してしまうところから、成長するにつれてまわりの反応などから気づかいや嘘などを学んでいくのと何が違うのか。
*
そう考えると、結局はやっぱり、膨大なデータからの一般解的なものか、個別の体験から見つける答えか、っていう違いに行きつくのかなぁと思う。
だけど、たとえば、世界中の膨大なデータをとる仕様にしなくて、ひとつのロボットのその個体だけが集められるデータのみで学習していったら、人が学んでいくのと同じなのかなぁとも思う。
そうすると、「身体」を持っているかどうか、その身体で受け取って学習していくかどうかが、違いなのかもしれない。
受け取り方が、身体そのものを使うか、データなのかの違いなだけで。
そんな風に同じように身体を持たせてみたら、「感情」も持つようになるのだろうか?感情は身体から生まれているのかな?とかも気になるところ。
(多分続く)
*
ライティング・ライフ・プロジェクト2024年4月期募集準備中です。
お問い合わせなどはこちらからどうぞ。