サービスの質をどこにおくのか。

今日美容院に行ってきた。

毎回毎回おまかせでいい感じにしてくださって、それはほんと満足で。
接客もほどよくて、丁寧だけど過剰でないし、話したい気分のときにいい感じに話すくらいの距離感で好きなのです。

なのだけど、いつもと変わったことがあってちょっと残念なさみしい気分。

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いつも、カラーリング中に飲み物とチョコなど出してくれるのです。
飲み物は毎回選べるので、私はだいたいそのときの季節限定の紅茶を頼んでる。マリアージュ・フレールの紅茶。

あの特徴的な布のティーバッグが、お店のマグにいれられていて、好みのところでティーバッグひきだして飲む。(ちゃんと小さなティーバッグいれるお皿がある)
お湯がちょっとぬるめだったりするときもあるけど、それでも、適当な作り置きの紅茶をいれているようなのと全然味違っておいしいし、見た目も好きで気分あがる。

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だけど今日、お茶出していただいたときになんか違和感あるな、と思ったら、プラスチックのカップになっていたのでした。
持ち手のないプラスチックのカップを、持ち手のついているプラスチックの枠にいれるような形の。

持ち心地よくないし、口触りもよくないし、プラスチック感するし、紅茶が味気なく感じてしょんぼりしてしまった。
めずらしく、紅茶を飲み切らずに終わった。

これは、コロナのせいだろうな、感染対策のための使い捨てカップだろうなっていうのはわかるんだけど。
マグカップよりもコストもかかって大変だろうなとも思うんだけど。
万が一感染者がでたときなどに、使い捨てしているからと感染可能性を断てていることがすごいリスク回避になるのもわかるんだけど。

安全な状態をつくるのは、対策をしっかりしているのは、客のためだということもわかってはいるけど。
それによって、安心してこれると思う人も多いはずだから。

だけど、そう頭ではわかってても、やっぱり残念でしょんぼりした気分だった。
好きなところだからこそ、飲み物でさえも好きな状態でいてほしくて。そんなところでチープな雰囲気がでてほしくなくて。

見た目とか雰囲気だけの話ではなく、実際、口当たり違ったり素材ちがったりすると味も違って感じるものだと思う。
見た目や雰囲気だってサービスの質そのものだし。実際のコストや手間でなく、どう感じるかというのが質になると思う。

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不特定多数の人とものの使いまわしがされないようにする、というのは、感染対策として王道で基本的なことだとは思う。

だったら、これからは、使い捨て容器が当たり前になるんだろうか。

さすがに飲食店では普通の食器を使うと思うけど。食器カトラリー類など含めてお店を構成しているものだと思うし。

だけど、テイクアウトメインのお店だったら店内もとか、飲食店以外がサービスで出すものとか、そういうのは使い捨てが当たり前になっていく?
だけどメインで取り扱っているかどうかとかに関わらず、しっかり洗ったり消毒したりして使いまわすのについてのリスクは変わらないはずだ。

そもそも食器に関わらず、共用するものすべてが同じようなリスクをかかえるのだし。
口にふれるものはリスク高くなるのだろうけど、手でさわるものは同じくリスク高いのでは?もちろん客側も手は頻繁に消毒しているけど、その前に自分のものにあちこちさわってしまうことだって多い。
スーパーの買い物かごみたいに、さわったら都度消毒すれば問題ないのか?だけどそれだって、かごは消毒されても店内のものや場所あちこちすべてが人がさわる可能性があるのだし。共用する、確実に手に触れているものだけでも消毒すれば効果はある程度見込めるのかもしれないけど。でも特定のものだけ消毒しての感染率軽減ってどれくらい効果がでるのだろうか。

というか、消毒して共用できるなら、食器だってしっかり洗っていたら問題ないのでは。飲食店でそれで大丈夫なら、サービスでだされるものだって同じく大丈夫なのでは。

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どれだけ効果があるのか、そのやり方でどれだけ安全になるのか。
やらないよりはいいというのと、やった方がいいというのは違う。
そもそも、やった方がいいかどうかというのも、正しいやり方かどうかで変わってくるし。効果があるはずのことでも、ちょっとやり方違ったり、急いでて適当な感じになって効果なくなることもあるだろう。たとえば、買い物かごが消毒されていても、荷物詰める台が都度消毒されていないならどうなのか。持ち手が消毒されていてもかご部分が完璧に消毒されていないならどうなのか。

実際の効果よりも、対策をしっかりしているのだとわかるようにすることでの安心感という方が、大きいのではないかと思ってしまう。

言い方悪いけど、パフォーマンスとしての、安全への配慮。

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ほんとに安全のための効果がある対策としてのニューノーマルなのであればしかたないと思うのだけど、効果の有無や大きさ関係なく「安全に対策しているとわかるようにすること」がニューノーマルになってしまうのはいやだなぁと思った。

心理的に与えるものの大きさもわかるんだけど。それを必要とする人がいるのもわかるけど。

でも失われるものがあるのなら、それもよく考えたいし考えてほしいと思う。
パフォーマンスのために失っていいものなのか。

そうは言いつつも、結局はそのお店の覚悟や方針だったり、そのお店の客側の覚悟や期待だったりの話になるんだろうなとも思う。
とりあえずの安心感を買いたいのか(提供したいのか)、質や雰囲気を買いたいのか(提供したいのか)、その間のどれくらいを期待するのか目指すのか。

これまで、質とコストとのバランスというようなところを見ていたところに、プラスして安全という軸が加わって、どの軸をどれくらい大事にするかというようになるだけなのかもしれない。
質とコストというときには見えなかったものが、もうひとつ加わって違うバランスをつくるときに見えてくるのかもしれない。

(それでも私は、パフォーマンス的かもしれないところにコストをかけるのもそれで質的なものが落ちるのも、本質的ではないと思うしいやだけど。)










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