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自分のことを話すとしたら。【自己紹介】

りんどうまきです。
会社員の傍ら、イラストやまんがをつかっての販促物作成、グラフィックレコーディングや、グラレコをつかっての思考整理セッションなどを行っています。
考えるの好きで、らくがきとグラレコ大好き。なので、個人の仕事としてそういうのができるのは嬉しい。
(まんがコンテンツでもグラレコでも、ご依頼大歓迎です!)
(お絵かきとかグラレコとかとの出会いも語りたい気がするけども、長くなるのでまた別途。)

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”自己紹介”っていうと、経歴だのこれまでの実績だのを、フォーマットのように説明する人が多いなと思って。

わかりやすいのかもしれないけど(特にビジネス上では成果見て判断したいのはわかるけど)、私はそういうの見てもあまり惹かれない。

知りたいのはそういうのではなくて、その人がどういう人かということ。
どういう考え方とか、どんな視点や興味なのかとか、そういうの。
経験を聞くとしても、聞きたいのは事実そのものではなくて、どう思ったかどう感じたかみたいなところ。

逆に、自分が相手に聞いてほしいとしたら、自分のことを話すとしたら、好きなもののこととかかなぁ…
仲良くなりたい人に、えーとね、って自分の話するならこんな感じだと思う。
もしくは、こんな話を楽しく聞いてくれたら、仲良くなれそうだと思う。

そんな、仲良くなってみたいなって人に話したい感じのままの、自分の話。

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「りんどうまき」っていう名前は、本名ではなくて、イラストとかやるのにつくった名前です。
なんで「りんどうまき」なのかというと「竜胆」なのですよね。紫系の色を示す言葉として、好きな語感の言葉。色を見てみたら、好みの紫だったし。

もともと、イラストやまんがを描きはじめたのは育児絵日記で、子供たちの様子や成長具合がおもしろいので日記をつけていて。最初に産院でいただいた育児帳にメモしてた続きみたいに描いていたのだけど、成長して動きが増えたりするようになったらテキストだけでは表現しづらくて、イラスト添えて書くようになって。ブログというサービスを知ってブログでイラストやまんがの育児日記を描くようになったのでした。育児絵日記というか育児観察記録かな。
そのときに知り合った仲間と、イラストやまんがを仕事にしていくために協力するためのグループをつくって、それが「カラフルセル」という名前で、「カラフル」というのと、メンバーがたまたまHNに色の名前入っている人が多くて、はいってからHN考えた人は苗字に色をいれたのでした。そのときに紫系でメンバーに考えてもらったのが「竜胆=りんどう」。普通にある名前ぽいし自然ですごく気に入っている。

紫色、好きです。青も好きだけど。青は空や海など同じようで同じにならないいろんな色が見れるのが好き。
紫は、色味としても好きなのだけど、高貴なイメージで憧れる色。源氏物語に出てくるのも、最愛の姫は紫の上で、次に近しい明石の上は紫のイメージとされていて、永遠の憧れは藤壺の宮だった。それぞれに違う色味の紫のイメージの方々。紫はあさきゆめみし読んだときからずっと目指したい色。よく紫系をつかったり着たりするからか、りんどうまきという名前のためか、紫が合うと言われるようになって嬉しい。実際色としても似合ってると思ってる。

きれいなものが好きです。「きれい」といってもいろいろあるけど、私の思う「きれい」は色形のきれいさだけでなくて、そのもの自体のきれいさ。「ぴったりくる」「調和」「違和感がない」「自然である」「整っている」「筋がとおっている」など。見た目だけでなくて中身がともなう感じ。バランスがよい感じ、全体がよく見えている感じとか、意図がある感じ。それと、「本質的である」こと。本質的ってなんだ?というのが定義が難しいけど、自分がそう感じるかどうかなのだけど、ねっことか核とかそのものだと感じるようなこと。私の好きなもの好きな人などの基準はこういう「きれい」かどうかにある。
見た目としての色形のきれいさは、単なる好みだけど、線や色や質感とかとそのバランス。デザイン的な理論とかは知らないけど、デザインにこめられたストーリーが体現されているようなデザインは、見た目も中身もきれいなのだと思う。なぜつくられたかとか、なんのためにつくられたかとか、背景や意図が、つくられたものを見たら納得というようなもの。世界観やコンセプトと、それを示すなにかが、ぴったりだ、そのままだ、というようなもの。
と、ごちゃごちゃ書いてみたけど、実際は、あ!きれい!と思ったらなんかいろいろ全体が好みってだけな気もする。

自分が思う「きれい」を切り取るのも好き。
きれい、と思ったら、写真を撮ったり、メモしたり、文章にしたり、絵にしたり、いろいろそれぞれ自分のできる何かで好きなように切り取る。自分の好みのものを、できるだけ覚えておきたい記録に届けておきたいと思っているのだと思う。どう切り取るか、どう切り取ればよりきれいかを考えるのも好き。空とか子供とか撮るときの、今ここを撮らないと変わってしまうというその中でここだって決める瞬間も好き。最近は、切り取らない方が記憶の中でそのままのきれいさを保っているように思うので、あえて切り取らないときもあるけど。

あと、物語が好き。
小さいころからただただ好きだった。絵本や本の中で生きるのが楽しくて。絵本の世界からなかなか戻ってこれない子だった。
自分とは違う世界や、自分じゃない人生や体験を、見られるところが好きなのだと思う。お話としての物語だけでなく、人の話を聞くのも好き。思い出話ってことではなく、考えていることとか、趣味とか仕事とかなんでも、その人の視点や世界が見えるような話。
そういう意味で、まんがのチラシなどをつくるのは楽しい。その人の仕事について、なんでやっているか、何をめざしているのか、どんな世界を見たいのか、何が大事なのかなど見れるから。そのどの部分をどんな物語として組みなおすか考えるのも好き。

りんどうまきとしての仕事は「伝える」ことを考えること。まんがもイラストもグラレコも、思考整理するのも、その手段。自分の中ではそう思っている。
「伝える」って、単に内容を伝達するということではなくて、自分は何を伝えたいのか、なんで伝えたいのか、誰に伝えたいのか、伝えた先どうなるようにするのか、ということを考えて、どうやったら伝わるのか考えて、それを実現することで。まんがとかグラレコがいいってわけでもなく、ただそれと文章での表現しかできないだけで、音楽でも身体表現でもプログラムでもなんでも、ビジネスでさえも表現方法だと思う。というかビジネスなんてつくりたい世界の表現そのものなのではないか。
うまく伝えられたという喜びも好きだけど、伝えるためにいろいろ考えて掘っていくプロセスが好き。
そう言いつつも、もともとまったく人と話せなくて、がんばって話せるようになってもどう話していいかわからなくて変にがんばってうまく話せてなくて、いろいろいろいろ工夫したり失敗したりしながら「伝えるのうまい」って言われるくらいになれて、そのコンプレックスの反動と、だからこその「伝わるの嬉しいじゃん!楽しいじゃん!」「伝わらないともったいないじゃん!」っていうのがねっこにはあるとも思う。
だけど、いろいろ工夫してと書いたけども、結局ほんとに伝わるかってところはテクニックではなくて、「何を伝えたいか」=自分のことや自分の実現したいことがどれだけわかっていてどれだけ伝えきる気があるかってだけだとも思っていて、だからそういう点も一緒に考えていけるような人と仕事がしたい。

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