「どうなりたいか」って、ちょっとしたことからでいい。
数年後の目標とか、キャリアプランとか、ちょっと長めのスパンでやりたいことやなりたい姿を考えるとき。
なんか、
『これくらいの素晴らしい未来を描かなければ!』
みたいになっている人が多いように思う。
「なりたい姿とかわからなくて」
「プランが描けない」
って言っている方の話を聞くと、
「2,3年後くらいならどうしたいかわかるけど、その先までって考えられない」
だったり
「研修であったような(モデルケースのような)、何年後は何をして、その何年後は何をして、ってそんなにはっきり決まらない」
だったりする。
で、さらに聞いていると
「今の仕事をこれくらいできるようになりたい」
とか
「教わりながらやっていることを1人でできるようにする」
とかいう話が出てきたりする。
なりたい姿わからないって言ってたけど、なりたい姿、やりたいこと、あるじゃん?って思う。
プランが描けないって言ってたけど、やることわかっているし計画って形にするだけじゃない?って思う。
(別に、いつ何をってまで明確にしてなくてもいいとも思うけど。)
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何か大きなもの、先のこと、はっきりした形とか、そういうのがないといけないように思ってしまうのだろうか?
確かに、これだ!って感じのイメージがあったり、何年も先まではっきりイメージがあったりすると、すごいなとかいいなとか思ってしまう気はするけども。
でも、そんなのだけがいいっていうのでない。
どんな形でも、ふんわりしてても、ちょっとしたことでも、なりたい姿だし。
なりたい姿が、目標として遠くても近くても、短期間での目標でも長期間の目標でも、別にいい。
段階ふんで、これやって、次はこれで、っていくつも先まで見えてなくてもいい。
今見えているイメージから広がったりもするし、ちょっと進んだら見えてきたりもするよね。
そうでなくても、今ある「なりたい姿」を目指したらいいのだし。
はっきりしてたり先まで考えていると、しっかり進めそうでいいようにも思うけど、よくわからないからこそじっくり考えるし進みながらも考えてるし、それがいいこともあると思うのだ。
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