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乗り越える力回復する力。

なんとかする力や回復する力を信じていないのかもしれない、と書きながら、

今そう思ってるけど、でもいつも、子供たちに対してはレジリエンスだの乗り越える力だのを信じているのにな、と思って。自分の子たちにそんな力があるという意味でなくて、一般的に人が成長する際の話として。

その場合との差はなんだろう、なんで自分が傷つけた人傷つけることになるかもしれない人の回復力などは信じていないのだろう、と思った。

と書いてて気づいたけど、そもそも別の話だな。自分で何かやってみたりして失敗したり傷ついたりする場合の、自分の力で回復する話と、人に傷つけられる場合に回復する話と。
後者も回復する力はあるのだろうけど、そもそも自分の力で回復しないといけないのかって点が違う。

それはそれとして、基本としては人にはなんとかできる力があるものだ、と思う。
なんとかできるというのは、うまくできるとか問題を解決するための何かができるってことではなくて、自分をなんとかしていく力みたいなもののこと。
乗り越える力とか回復する力とか。

それは生き物として、生きていくための手段としてもっているものなのではないかと思う。
ダメージを負ったときに、修復したりレベルアップしたり必要なことができる状態にしていかないと死んでしまうから。

そうは言っても、トラウマになるほどの傷も負ったりするし、どんなつらいことでも自分で乗り越えられるとか、完全にもとのように回復できるとか、そういうわけではなくて。
ただ、そうやって傷を負いつつも生きる方法が見つけられたりするものだと思う。

野生動物のように、傷を回復するのをただ待ってたり見守っていたりだけでは傷が癒えないままになる可能性もあるので、助けたりするのは必要だと思う。
でも、できるはずのことまであれこれ助けすぎるのとか、そもそも傷つかないように(失敗しないようにとか)先回りして回避させたりやっておいたりみたいなことをしていると、本来できるはずのことをやらなくて、できるはずの力が失われてしまうように思う。
だから、助けすぎないのが大事だと思っている。

助けすぎないのがいいのは何をするのでも同じだと思う。
だけど特に、乗り越えたり回復したりしていくプロセスって、自分で何かやって失敗したりしてっていう中で経験していくしかないから、ちょっとしたことで経験して力をつけていくのがいいのだと思う。

だから、子供のうちに、失敗とかいってもたいしたことがなかったりフォローしやすいうちに、やってみて失敗してへこんで立ち直って、とかを繰り返してみたらいいと思っている。
自分が子供たちに、とりあえず自分でやってみたらっていうのはそういう理由。

そう言いつつ、自分が失敗してしまうと助けてほしいと思ったり、自分が関わっていると何かしたいって思ったりもするので、矛盾してるかもしれないけど。
仕事とか人間関係とか、すぐにどうにかしないといけなくて、子育てみたいに失敗しながらもゆっくり待ってるとかができないのもあるしなぁ。
だから余計に、そうなる前に身につけておけるといいなと思うのだとも思う。

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