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「いきいきしている」ってなんだろう?

この前、打ち合わせに遅れて参加したとき。
「さっきまでグラレコしてきて遅れた」と話しながら入ったら、
「だからいきいきしてるんだね」
「楽しそうだね」
って言われて、ぱっと見で言われるほどなんだな、と思った。

確かに楽しかったし、その余韻ひきずりまくってたし、なんなら、こんな風に描き足したいとか(デジタルで描いてたからファイル渡す前に描き足せた)まだ頭の中で考えてたし。
楽しさがにじみでるどころか、発しまくってたのかもしれない。

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そういえば、前もグラレコしたときに
「ほんとに好きなんだね」
「すごい楽しそうに描いてるね」
って言われたのだった。

2日間描き続けたときも、ひたすら楽しかった。
手は疲れてきたけど、それでもまだ描きたかったし、もっと描けるのならば描いていられた気もする。大変だねって言われても、全然大変ではなかった。(手は疲れたけども)

描いてて楽しいっていう自覚はある。
思うように描けなかったりして悔しいことはあるけど、それ以上に楽しい。
ひたすら描いていられるとも思ったりもする。

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「いきいきと働く」というのが、よいことだとされている。
いきいきと働ける職場に、とか、いきいき働ける仕事を、とか。
もちろん、つらかったり、いやいややっていたり、心身壊してしまうような働き方はよくないのだけど。

だけど、「いきいきしてる」ってなんだろうな?と思う。

私の場合、楽しいという点の価値が大きいので、楽しいと「いきいきする」のだと思うんだけど、でも楽しかったらいいってわけでもない。
たとえば、グラレコしてたら楽しくいきいきしてるからといって、グラレコだけやれたら満足なのかというと違う。
ほかにもやりたいことあるし、できるようになりたいことあるし。企画してたりして楽しいことだってほかにもある。グラレコでもイベントのレコーディングだけでなくもっといろんな場で見える化してやってみたいこともあるし。

だけど、それらのほかにやりたいことよりも、グラレコしているときのほうが「いきいきする」と思う。
ほかのやりたいことがまだしっかりできていないっていうのもあるけど、それだけでなく。
ほかのことでも、同じくらいかそれ以上楽しんで夢中でやれることはあると思うんだけど、グラレコしているとき以上に長時間その状態が続くとは思えない。
でも、ほかのやりたいことは、グラレコと同じかそれ以上にやりがいもって楽しくやれるとは思う。(楽しいだけじゃないのも含め、楽しめる。)

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グラレコは私にとっては特殊なものなのだと思う。

仕事とか好きなこととかそういうことでなく、手段としてほかにないもの。

そこに集中し続けることができる。

ほかのことって、いくら楽しくても、そのとき夢中でも、なにか別のことを考えたりする瞬間とかがある。没頭している間はそのことだけであっても、そんなに長時間没頭は続かない。考え中とか迷い中とかの時間が混ざりつつになる。

だけど私はグラレコしているときは余計なこと考える暇はなくて、どう見られているとかどう見せたいとかも気にする余裕はなくて、ただそのときどう描くかだけになる。
(ときどき、さっき聞き逃したのあとで確認しよう、とかは頭の片隅にあるけど。)
描いている間中、そんな状態。
ずっとイマココにあるような、マインドフルネスで呼吸に意識しているのと近いような感じ。という気分。

グラレコで生み出せるものとかも好きなんだけど、そういう状態の中にいられることそのものも好きなんだな。

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結局、グラレコ大好きだし楽しいし「いきいきする」わけなんだけど。

でも、仕事とかやりたいこととかとして、私はそこで満足はしないなという話。




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