今年のことば(2024年振り返り)
Stockr開発メンバーと一緒にふりかえり Advent Calendar 2024の3日目の記事です。
振り返りというと、仕事について、プライベートについて、習い事について、推し活動についてなどなど、振り返る物事はいろいろある。けれども今回は《2024年のことば》を題材にしてみたい。
わたし的流行語〜というものでもないが、今年に出会った心を突き動かされた「ことば」についてだ。
早速だがこのnoteで書きたい2024年のことばは2つある。
1つは友人がいったことばで、今年を振り返ろうと思ったと同時にその時の友人との会話がでてきたくらい、わたしにとって印象的なものだった。
友人と食事をしながら話をしている中で、なぜそんな話になったかは忘れたが、自分が若い頃にした・しなかった選択や行動、そのことで今でも強く後悔していること、人生の汚点とも思っていること、ついそういう選択をしてしまうのが自分なんだということについてつらつらと話したときに、友人が私にいった。
そういえば友人は公認心理士でもあるので、友人というより専門家の顔で言っていたのかもしれない。
「その時のあなたが生き抜くために必要なことだったんだよ。そうでもしなくちゃ生きていられなかったかもしれない。生き抜いた自分偉いと思おうよ」
続く友人との会話で、普段は見えないところに隠しているが心のどこかに、「今現在は恥ずかしくない人生を送っているような顔をしているが、本当の自分はその場しのぎで流されるままに生きる人間だということを私は知っている」そう思っている自分がいたことを正面から受け止めるきっかけになったし、好きで”その場しのぎ”に生きてきたわけではなく、そうやって生き延びたんだと自己認識を改めたことばでもあった。
「ことば」をテーマに振り返ってみようと思ったときに頭に浮かんだもう1つのことば(というより文章だけれども)はこちら。
「バイバイ、ブラックバード」という不思議な内容の本を読んでいて急に心が揺さぶられ、なぜこうまで揺さぶられるのかハッキリしないままStockrにメモしたことを覚えている。
たまにこの箇所を無性に読み返したくなる。
Stockrにメモした日付は今年の6月頃で、上の友人とのエピソードは(肉の写真の日付によれば)10月だった。
ちなみにこの「彼女」というのは、主人公の元にある日突然「監視役」という名目で現れた、行動や言動が極めて暴力的で非常識で下品で異様にデカい女性のことを示している。
各種特徴が自分と特に重なることもない彼女のことを、なんとなく「自分のようだな」と漠然と感じたこの文章が、読み終わった後も何度も思い出すほどに印象に残っている。
とはいえ、ごく客観的にみればわたしの人生はそれほどの困難さに満ち満ちていたわけでは決してない。それどころか、部分的に多少の特殊性はありつつ普通に満たされていた方に違いない。
あくまでわたしの主観でのみ、わたしの人生は藪で覆われた道なき道を進んでいくようなものだった。
上の友人からのことばを得た後にこの本を読んでいれば、ここまでこの文章に囚われることはなかったかもしれない。
今改めてこの文章と向き合ってみると、わたしはわたし自身で自分を密林に追い込んでいて、自己イメージでのみこの女性にシンパシーを感じたのだと思う。
実際に経験したわけではないが、密林に放逐されれば、誰でも5年先10年先の人生のことなど悠長に考えている場合ではなく、次の一歩・次の食事・次の水、まずそれを確保しなければ何もはじまらないだろうと想像できる。
”その場しのぎ”に生きるとはつまりそういう状況ということで、否定されるようなものではなく、そうでもしなければ生き抜けないときがある。
しかも人間は主観だけでそういう状況をつくることもできるようだ。
そういう生き方をしているうちは、不安と苦しさが付きまとう。
なんとか密林を抜け、明日の不安をしなくても過ごせるようになったなら、”その場しのぎ”ではない未来に目を向けた生き方をしたほうがいい。
そのほうが幸福度が上がる。
長年、自分で創造した密林に自分を追い込み、その場しのぎで生きるのが習い性になっていた(ことに今年気づくことができた)わたしだが、その場しのぎから脱することができた大きなきっかけは、やはりStockrに関わり「振り返り」をするようになったことがあると思う。
振り返りをするようになり、自分が生きたい方向・行きたい方向に目を向けるようになり、そのためにどう考えるか・行動するかを意識するようになった。
先々のことをよく考えるようになると、ただその場をしのげればいいという考え方は自然としなくなるようだ。
もしわたしと同じように、ただ流されるようにその場しのぎで生きている自覚があって、そんな自分が嫌だと思う人がいたら、まずは自分を否定しないでと伝えたい。
自分が置かれている環境や心の状態の中でもがいている自分が見つかるかもしれない。それは自分を責めているうちは見えないものだ。
2024年に印象的だったことばからは、いろいろと考えさせられることがあった。
違う時期に出会ったことば(文章)にもかかわらず、こうやって2つを並べてみると自分の中でつながりがあることに気づいたりもした。
わたしが関わる「ふりかえりを習慣化するアプリ Stockr(ストッカー)」は、継続して使っていくことでこのようなセレンディピティ(偶然の産物)に出会うことがままある。
意識的な学びももちろん高尚なものではあるが、こんな日常のできごとの中での自分だけに価値のある学びは、宝石のように特別なものだと感じる。