ワセジョでリクジョで占い師
数日前にこんな記事を書いた↓↓
選択してきた道は自分で選んでいるようで、実は信頼できる人が差し出してくれた「社会的にも他人の目にも認められやすい」選択肢であったこと。特に『学歴とキャリア』は、ひとさまがくれたギフトとして生きてきたことを。
占い師で生きていこうと決めた際に、他者や社会の目を気にする自分に気づけたことをしたためたのだが、実は続きがある。
『学歴とキャリア』は、ひとさまがくれたギフトであり宝。
そうであれば、もっと全面的に押し出してもいいし、大切にできるはずなのだが実際は違った。
「早稲田卒って優秀ですね」と言われれば
即「いえ、指定校推薦での入学なので」
と学力がないことをアピールし
「リクルートって優秀ですね」
と言われそうになれば、即カウンターで「いやいや、友達のおかげなんです。長く勤めてただけですから」
と否定することに余念がなかった。
優秀ですね。
の一言が恐怖。
優秀ではないことは誰よりも自分が一番分かっているから。ピンキリの“キリ”として過ごしてきたが、多くの他者から見ればそんな細かいことはどうでもいいわけだ。だけど自分は気になって、カウンターをくらわす卑屈さ。
早稲田でリクルート出身だけど
何をやっても中途半端でたいしたことない人間。
ギフトを勝手に重荷にし、自分で首をしめる。誰も何も言ってないのにさ。首を締めてるのは自分だけ。
それでも、優秀の言葉が中途半端な自分に突き刺さり、卑下する。10何年も思い続けていたことだから、卑屈な返答が当たり前になっていた。
それも今日で終わり。さようなら。
大きなきっかけになったのは、月一楽しみにしているTOMOKOさんの主催する観察講座。毎月ワークをし、その中でTOMOKOさんが上手く質問をしてくれたことによって、大きな塊がごそっと取れる。
今回は自分の中にある“優秀さへの抵抗”。頑なに卑下する心。ギフトだと思っていたものに潜んでいた。あふれ出す感情が10数年分の想いを、洗い流してくれる。
優秀ですねと言われたら、色々考えず素直に「ありがとうございます」と受け取っていく。やっと受け取れる。たぶん大丈夫。
友人や先生、両親がくれた学歴・キャリアというギフトを、やっとやっと本当に受け取れる自分になれそう。
マンモス学校だから、いる人はピンキリ。
長年続く会社だから、卒業生といったってピンキリ。だからなんだって話。
リクルート卒の人間って、リクルートを出さなきゃ死んじゃうのか、という嫌味も無視!
だってね、早稲田もリクルートも属性の一つである以上に、核となるアイデンティティの一つだから。更にもらったギフトだから。
ワセジョでリクジョで占い師。
これが私の中で、ひときわ確立されたアイデンティティ。おめでとう、わたし。