「呪い」が蕩けた日
10年前に所属していた前職部署での同窓会@東京。部署名にちなんで11月11日11:11にオープニングムービーから始まる粋な会。50人ほどだろうか。大多数の人が集う場所へは参加することが少ないが、今回は純粋に「皆に会いたい♪」と参加してきた。
前職では5年名古屋支社で営業した後、希望が叶って東京本社に勤務。2年半。
もともと低かった自己肯定感は、2年間で深海の底まで落ちた。
業務量、スピード感、人間関係の苦労、他諸々も相まって、たった半年で鬱になった。鬱と言えど当時はそれに気づくこともなく、恐怖で眠れなかったり、起きなきゃと思っても体が動かなかったり。後になって、あの時は間違いなく鬱だったなぁと思うくらいなんだけど。
あまりに辛くて退職を決意するも、上司の助言もあり、変な場所に異動させないからと異動した先は、全社のエースが集まる部署。
「マジ終わった・・・」と30Fのオフィスから夕陽を眺めたのも11年前か。
能力も志もプライドも超がつく高い集団についていけるはずもなく、深海の底に落ちた自己肯定感は、海底を掘ってさらに落ち続けた。自分は無能であるという呪いを強烈にかけたことで、無能の呪いは幾重にも重なった。
1年後にその部署は解散。次に配属された部署が、同窓会に参加した部だ。
打って変わって新人が集まる部。そこにリーダーとして配属された。
大学を卒業して2.3年の3年間限定の契約社員のメンバーたち。ふわふわとして、弱弱しいメンバーたちが大勢。営業はもとより、ブラインドタッチすらできない。ビジネスマナーも怪しい。だけど、素直で、ちょっと怠惰で、時折一所懸命な彼らは小鹿にもみえたし、弟・妹・子どものような存在で愛おしかった。
強烈にかけた無能だという呪いが解けることはなかったが、東京という土地で、初めて純粋に誰かのために頑張りたい、役に立ちたい。そんな想いで働いた半年だった。
日ごとに成長が見えるメンバーたち。子どもがいたらこんな感じなのかなと、数歳しか変わらないメンバーを見ながら逞しく一人前になっていく姿が眩しかった。
10年経ち、きっと彼らは素敵に成長をしているんだろうなという想いと、東京で働いた時間の中で唯一心休まる環境だった場に、顔を出したい。そんな想いから参加した。
◆
同窓会では、部長やマネジャーが10年前を振り返ったり、メンバーたちも近況を発表しあったり。想像どおり、みな素敵に変貌していた。
そして会を終えて気づいたことがある。
あれ、無能の呪いが薄まっていると。
退職して2年。好きなことを好きなようにしてきたことで、自分が無能かどうかなんて、どうでも良くなっていった。頑丈で分厚い無能の鎧もすでに取れている。
が、もっと薄い膜までなくなっているような気がする。
当時から親しいリーダーの一人にこう言われた。
「まえまきさんてさ、社会的地位とかホントに気にしないよね。前職の中でも良い部署に配属されて社会的地位が安定してたはずなのに。でも、仕事はここまでって割り切ってやってたよねー。今は昔よりイキイキしてる。」
マジですか。
確かに社会的地位は気にしないから、さっと辞めて、占い師やってまーす!と言えてるのは事実だけど、仕事は200%の力を出しても全然できなかったと思いながらやってたのに、身近にいる人でも、見え方は違うんだなと。
たぶんこの話をしてくれた彼は、私を無能と思ってなかったんだろう。
そもそも、人は他人に対してたいて興味もないし、無能かどうかもどうでも良かったりする。会の中でも何度も感じたことだ。
「当時と変わらずダメなとこも変わってないよね」みたいな話題でいじり合ってるのを見ながら、執拗に囚われていたなと。
無能かどうかって、どうでもいい。
今無能でも、明日は変わるかもしれない。
今ダメだからって明日ダメいうわけじゃない。
おもろいかどうかには厳しめのジャッジが下されがちではあるが、自分が苦しんできた無能の呪いは、自分でかけ過ぎてただけだったと。
ワイワイ騒ぐ熱気の中で蕩けた呪い。
自分の無能さに嘆いて苦しんでいた呪いが、昇華していく。
自分はだめだ、無能だと思えば思うほど、見えなかった周囲。いつも視点の矢印は自分に向いていて塞ぎ込んでいた。お客様やメンバーのこともみえていなかっただろう。
無能の鎧を外し、インナーまで蕩けてなくなった日。強力、強烈な呪いが蕩けた。
あぁ軽くて空気がうまい。