美しい人として生きる。小さな『勇気』を出し続ける
今日は一人の女性を想いながら書くnote。
私の脳内は、細かく分類されていない。コスモスコープと、夫と娘と、その時気になる数人のことだけで脳内キャパシティは満タン。そこに苦手な手続き類とかが入ってくるとウゲーってダウン。
講座を主催していると、気になる人は講座生が中心になる。その中でも特に気になる女性がいた。
話のオチは全部『わたしには何もない、絶望』ってところに集約されるんだけど。言葉はネガティブで、闇系圧力で押されるのは事実なんだけど、ネガティブ全開のエネルギーは感じないので、彼女を象徴する言葉として
山頂でひとりぼっちな頑固おやじ(手にはガラケーを握ってる)
と、彼女を表現して伝えていた。超失礼だけど、マジでその光景しか見えなくて、笑
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気になって気になって、どう伝えたらいいだろうとかいっぱい考えたし、言葉も思いも尽くしてきたつもりだけど、それでも
「絶望してる」って言われたら、もう仕方ないなと思ったりして。私にできることは信じて待つしかできないわと。
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一方、彼女の気持ちは痛いほど分かるのだ。だって、私も絶望しか感じてない時期の方が長いから。暗闇のトンネルを一人で歩いて、出口もないってずっと思ってたから。口にしないから忘れた部分も結構あるけれど、だいたい苦しくて溺れてたなぁと。
今は昔と違って、闇でもなければ、溺れてもないけれど、ぬるくて心地よい温泉に浸かってもう出たくない~、今のままでもいい~~と
『現状維持』で変化がないのは、昔と変わらない。
ということで、小さな勇気を一歩踏み出すことをはじめている。
勇気のいることはどんなことだろう?!
やったことのないことにチャレンジすることかも
やったことあることに、心新たにトライすることかも
怖くて見ないふりをしてることかも
私は『美しい人になること』
これが超・超・超×10、怖くて逃げていたことだ。
Aちゃんみたいに素材がよくないからさ
3歳からブサイクだからさ
いつも引き立て役だからさ
40年近くど真ん中にある『どうせ可愛くないから』に向き合うには勇気がいる。
しかも、婚活の時に向き合って、史上最強キレイな状態で結婚式をあげる!を掲げて、達成したと思ってたのに。
結婚式の時に母から
「AちゃんもBちゃんも相変わらずキレイだったね。主役が引き立つように目立たない黒い服だったね」と言われて“ドレス着てたからギリ主役だったよなぁ”と思った私(苦笑)
可愛いや美しいに対してのコンプレックスの拗れ具合が、まだまだあった。ていうか、自分らしく生きてくるとコンプレックスが際立ってくる。
ここに気づかせてもらった後、ちょうど講座が始まって、メンバーの多くが
「可愛くないコンプレックス」を抱えてて、「気持ち分かる~~、私の鏡~」と涙目になって見ていた。
という流れもあり
◎まずは10月末にシミ取りに行った。
シミだと思ってた100個くらいのものは、全部イボ(老人性のやつ)で、100個以上のイボを取ってもらった。ぶっちゃけ、まだ跡が残っている。
◎ヘナをやめた。
オレンジと黒々と染まるヘナをやめて、イメージを変えられるようにする。ヘアカラーできるようにするには、まだ時間がかかる。
◎まつ毛美容液を買った。
塗ったら合わなかったのか下まぶたが腫れている(どんまいすぎる)。
小さな勇気の積み重ね、前もやっていたことを心新たにやっていく。
◎舌を上がった状態にキープできるようにする
これは小さな勇気だけでは無理なもので、継続力が必要になる。こうして書くことで、継続していく気持ちを出してる。
美しい人として生きる
2ヶ月前にノートに大きく書いたけれど、ホント覚悟はすぐ吹き飛びそうになる。だから、小さな勇気を何個も何個も出し続けて、継続もして、こうしてnoteにも書いて、インスタのストーリーとかにもあげて、退路を断つ。
小さな勇気を出し続けると、覚悟が決まる。
コンプレックスを打破するために美しくなろうとするのではない。自分が進んでいった道の先を見た時に
美しい自分の方が自然だから。
本来の自分だから。
ど真ん中に鎮座している『ぶさいくな私』には、そっとどいてもらって、『美しい私』にいてもらう。
これを書くことは、大きめの勇気。
書いた!
せっかくだし、一緒にやろうよ。
手を伸ばしてくれた人はみんな仲間だ。