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父の古希祝いは『信楽たぬき』

今月70歳の父。今週末は実家に帰省しお祝い旅行。費用、全父持ち(笑)
元気に動けるうちにということで、家族10数名でお泊りしてきます。



どうする古希のプレゼント

そして父への誕生日プレゼント。今年は二人の弟と一緒に姉弟でプレゼントしようということに決定。ゴルフグッズや農業グッズ、お洒落な靴などプレゼントしてきて(ちゃんとしてるのは上の弟だけ。私は隔年でしかしてない)

今回はこれ!!
というのが決まっていたので提案。


信楽たぬきです。

友人から
「いい雰囲気のお家って必ずたぬきが置いてあるんだよ」という話を教えてもらって以降、チラ見しながら散歩する日々半年。


確かにそんな気がする!!


何かに守られているような、ここにいるよって存在感や、家族のような雰囲気を醸し出しているたぬきさん。弟たちものってくれたので、昨年10月に夫に「信楽焼」で有名な滋賀県信楽まで連れて行って、これでもかってくらい“たぬき”を見てきました。


どうして信楽はたぬき?歴史は?

“他を抜く”というたぬきの名前から商売繁盛の縁起物として狸の置物をお店の前に置いてある。信楽ではそれに加え「八相縁起」とよばれる縁起を表し、縁起担ぎが込められているよう。

どのたぬきも同じものを持ってると思ったけれど、一つ一つ大事な意味があるってことか!

大きな目は周りを見渡し気配りができるよう
大きな腹は冷静さと大胆さをもつよう
お互いに愛想よく笑顔で
人徳を身につけるようにと徳利

など8つの共通項がある。

歴史は意外に浅く、信楽たぬきの成り立ちは約100年前。明治初期から作られ始めたと焼き物のようだ。第一人者は藤原銕造後に狸庵を名乗る人物であり、信楽の方ではない。当時は見た目も用途も違ったようで、今の縁起物になった大きな転機は、天皇の巡幸。

1950年代に昭和天皇が信楽へ巡幸された際、信楽町はたぬきをずらりと並べて天皇をもてなした。しかもその後昭和天皇が信楽たぬきの詩を詠まれたことから全国的知名度へ。

地元の特産物として、商売としての転機だったんでしょう!おもてなしがきっかけ~


信楽たぬき探索⇒宗陶苑へ

当日はいくつかお店の目途をつけながらたぬき探索。最初は、信楽駅付近にある販売店をいくつか。

みんな楽しそう

種類の豊富さ、お店ごとの個性はありつつも決定打に欠ける。しかも既に、娘っ子4歳は飽きてきているではないか。

背比べしよ〜とナビゲートしてみたり


選ぶ時間があまりなさそうと判断し、本命の『宗陶苑』さんへGO。朝ドラを見ないので全く知らなかったが、数年前のスカーレットで舞台になった窯元。販売店とは全然違った。そりゃそうだ、日本最大規模・今も現役で焼成する大きな登り窯を有してるところ。造り手、こだわりが細部にわたって見えるすばらしい窯元で、見ていて飽きない。

奥に続いていきます
上にあがってみる

お店の方に細かくご丁寧に案内いただきながら、たぬき・たぬき・たぬきを探す。


どれも一緒じゃん、と思っていたが全然違うではないか。

型で造られたもの、手づくりのもの。色の違いは、型・手づくりのものとの差別化。手づくりのものは、杖にしても、しっぽにしても、一体一体の差が分かる。曲線美

後ろからみると、形の違いがわかる
シッポの有無
作家さんによって、お顔のテイストも違う
大家族

配送できる大きさや、傷が少ないもの、お顔の向き。なんてたって、ピンとくるか。


とうに飽きている夫と娘を置いて、弟二人と電話しながら選ぶ。

なんて楽しい時間だ!!

とはいえ、早めに決めないと待ち疲れた二人の限界がきそうだったので、こちらに決定↓↓

こんにちは


後半は、登り窯を見学させていただく
見学〜

プレゼント選びでありながら、完全自己満足の時間を過ごし決定。あとは、年明けに贈られるのを待つのみ。


父の反応どうだった?

無事、実家に到着したたぬきさん。
さっそく、写真が送られてきた。
母と電話していると、後ろでめちゃくちゃでかい笑い声がする。
テンション高い父。

とても喜んでくれてるのが、電話越しに伝わる。数少ない友人に、さっそく自慢しているらしい(笑)

ぼく、もう家族です

家族ばりに馴染んでいるたぬきさん。

父は、自分で買いに行ってみたいなと思うほど、欲しいなと思っていたものだったらしい。たぬきにしようと決めたエピソードを母経由で聞き、さらに喜んでいた。

私も。エピソードモリモリのたぬきさんをお迎えできてうれしい限り。

ドヤ顔満点な父ものっけておこ


うははははは~~~wwwww

誰に電話してるん?!ていう笑い声が、娘にとっては何よりの喜びである。

70歳、一段と元気でいてくだはれ。父よ。

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