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#小説

本屋のおじさんが死んだ。2018年夏、メディアが猛暑だ猛暑だと騒ぎ立てているピークに逝ってしまった。90歳を超える大往生だった。

本屋のおじさんは私が小学生の頃、毎月本を配達に来てくれた人である。植木職人だった父がどういうわけか慕っていて、おじさんも父のことを息子同然に気にかけてくれていたという。毎月1冊ずつ配達してもらえるジュニア向けの文学全集を、私はどれほど待ち焦がれていたことだろう。川端康成、芥川龍之介、太宰治、野上弥生子に森鴎外、宮沢賢治、井伏鱒二といったラインナップの日本文学全集が終わると世界文学全集に移った。私は毎日、学校から帰るとその月に届けてもらった本を最初から最後まで全部読んだ。注釈のひとつひとつも舐めるように読んだ。友達がいなかったので、時間が山ほどあったからだ。担任の教師にいじめられていたのでクラスメートもそれに従い、菌類の名前で呼ばれたり無視されていたりした。本だけがいつも静かに私を迎えてくれた。

いじめられっ子はいじめられっ子なりになんとか成長した。中学・高校では筒井康隆や小松左京、豊田有恒、星新一に走りつつ多感な思春期を過ごし、大学で日本語日本文学科に進んだ。本好きここに極まれり。中原中也や萩原朔太郎に心酔しつつ谷崎潤一郎とはなぜか距離を置き、高村光太郎と智恵子、岡本一平とかの子の愛に焦がれた。所属したゼミでは河上肇と正宗白鳥、宇野浩二あたりに夢中になった。しかしゼミが明治大正文学だったのに、私はどういうわけか昭和の文学に惹かれていくこととなる。森茉莉にドはまりし、村上春樹で卒論を書いた。明治大正文学が専門だった教授からしてみれば大迷惑であったと思う。

作家が紡ぐ世界にどっぷり15年ほど浸ってみて大学卒業、そこでわかったのは「自分は小説家にはなれない」ということだった。私には何もなかった。生み出したいことも語りたいことも。これまで生活の一部のようになっていた作家たちの「書かずにはいられない」という衝動や飢えのようなものが、私には徹底的に欠乏していた。足りないのは心か、センスか。随分自分を責めたがどちらもないのは明らかであり、さりとて研究者や文芸評論家になるような批評の視点もまた、ないのだった。

そして月日が経ち、私は占いというかたちを通してものを書くようになり、おじさんの店に置いてもらえるような紙の本も出版することができた。しかしその頃にはおじさんはもう寝たきりになっていて、私の本を売ることはできなかった。父が見舞うたび、おじさんは床のなかで繰り返し「あかりちゃんは本を書いたらいいよ。あかりちゃんが書いた本が読みたいなあ」と語ったという。本は出たよ、と言うと、父はひっそり笑った。「おじさんの言う『本』は、小説なんだ」とつぶやいて。本を出すのは私の夢であり、父はそれが叶ったことを誰よりも喜んでいた。でもおじさんの希望には応えられない。自分が言った言葉に傷ついたのは、私よりもむしろ父なのだろう。

友達がいない私のところに毎月小説を届けてくれたおじさんは、私を孫のようにかわいがってくれた。父からいろいろと聞いて、胸を痛めていたのだろう。ひとりぼっちで閉じこもっている私が、本のなかではどこへでも行けたことを知っていたんだろう。今、君が積み重ねているものはいじめられる辛さじゃない。過去の人が人生のさまざまな局面で創造した物語を、さまざまな人の心模様を、いつかのために蓄えているのだーーと、おじさんの気持ちを想像してみたりする。そんな私を見ていたからこそ、今度は物語で誰かを支える立場になってほしかったのかも、しれない。

最期の言葉は「そろそろ行くわ」だったという。

おじさん、ありがとう。小説を書けなくてごめんね。でもおじさんが届けてくれた本は全部私のなかに生きている。毎日毎日読んだもの。だから今、こうやって文章を書いて暮らしていけていると思うんだ。おじさんが思っていたかたちとはちょっと違うかもしれないけれど、私は文章を書いて生きているよ。そっちに行ったら、たくさん話そうね。



2018年下半期の運勢が本になっています。

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真木あかり
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