見出し画像

「鈍感な世界に生きる敏感な人たち」

もくじ(一部抜粋)
第1章 鈍感な世界に生きる「敏感な人」とは
第2章 「敏感な人」が抱えやすい心の問題           第3章 「鈍感な人たち」とうまく付きあうには    第4章 「敏感な自分」とうまく付きあうには

数年前からよく「HSP」という言葉を目にするようになった。

「Highly Sensitive Person(ハイリーセンシティブパーソン)」

なんか急に、この関連の本が書店の目立つ位置にたくさん並べられるようになった気がする。

急ではないのかな?

私の印象としては急だったんだけど。

「敏感すぎる」とか「繊細すぎる」という言葉には思い当たるところがあって、引き寄せられるように書店に並んだ本を眺めてみると、「生きにくいのはあなたが悪い訳ではない」「敏感すぎる自分を否定しなくていい」というようなことが書いてあるので、なんだか嬉しくなった。

で、この本を読んでみて、私はやっぱり「HSP」で、その中でも、刺激を求めるタイプなんだなあと思った。

一番ややこしいやつね。

刺激に弱いのに、刺激を求めるという。

あー、だからいつもしんどいのか、って納得した。

書いてあることが、納得することばかりだった。

これ8割方私のこと書いてんじゃないかってくらい、当てはまっていた。

終始、そうそう、そうそうそうそう、って思いながら読んだ。


私は幼少期、親から「神経質な子」と言われて、めんどくさがられていた。

幼少期から繊細で敏感だった覚えはある。

両親は不仲で、その不穏な空気をビンビンに察知していたので、家にいることはとてもしんどかった。

いつも、父親が急に怒鳴り始めないか、母親が父親の気分を損ねるようなことを言わないか、とても不安だった。

不穏な空気を察知するとすぐにフォローに回り、父や母の機嫌をとった。怒鳴ったりする間を与えないように私が喋ったり、話を逸らしたりした。

家族でどこかに行くのはさらに大変だった。

へんな家族と思われてるかもって、他人の目まで気になったから、余計に疲れた。

そんなんだから、子供のくせにいつも難しい顔をしてたと思うし、笑わなかったし、まあ、可愛くないよね。

学校でも、私は周りにいるたくさんの人の様子を伺い、疲れていた。

きっとこの場面ではこうするべきなんだろう、こう言うべきなんだろう、というようなことばかり考えていた。

空気を読むことは容易かったけど、読んだ上で、相手の望む言動をすることが難しかった。

世の中には鈍感な人、この本の中では「タフな人」という表現もされてたけど、私のような人間が、そういう人たちと同じ言動をすることはとても難しい。

だけど、そうしなければいけないと思っていた。

私は自分のことを、「暗くて真面目で面白くないやつ」って思ってたし、周りにもそう思われてると思ってたから、必死に「明るく軽いノリの面白いやつ」になろうと頑張った。

「暗くて真面目で面白くないやつ」は、恥ずかしくて惨めでどこかおかしいんだと思ってたから。

だから学生時代の私は、自分が本当は何が好きなのか、何が得意なのか、何を求めてるのか、何もわからなかった。

勉強も、授業中はなんだか集中できなくて、ここは後で自分で勉強しよう、と思うことが多かった。

思うんだけど、学校という仕組みは、「HSP」にはしんどすぎる。

たぶん、「HSP」だけじゃない。

何某かの理由でマジョリティになれない人にとって、日本の学校という場所は、刑務所みたいなものだと思う。何かの罰を受けているような。


社会人になって、やっと自分のことが少しわかってきた気がする。

私は、空想の世界が好きで、美しいものキレイなものが好きで、勝負事は苦手。

ひとりでいると、のびのびとなんでもできる。

表面的な話をベラベラするのはすぐ飽きちゃうけど、じっくりと落ち着いて真面目な話をするのは好き。

思えば学生時代からずっとそうだった。

でもそんな自分はおかしいと思っていたから、好きなものも好きだと言えず、なるべく一人にならないように、友達のお喋りにもなるべく高いテンションで加わろうと頑張っていた。


この本の第一章、第二章を読んで、そういう私の特徴が、ほぼ「HSP」の特徴だったんだなって思った。

カバーの袖の部分、

あなたは、「神経質」でも、           「忍耐力がない」わけでもありません。       敏感さは、愛すべき「能力」です。

これを読んだだけでもううるっとした。

学生時代ならこれだけで号泣したと思う。

「HSP」の人は自己肯定感が低いらしい。

完全に思い当たる。

大人になって少しは自己肯定感がついてきているので、今の私は泣きはしなかったけど、やっぱりそう言ってもらえると嬉しかった。

大人になってマシになったとはいえ、未だに自分を卑下する気持ちはあるから。


本の後半、第三章で「鈍感な人たち」とうまく付き合うには、第四章で「敏感な自分」とうまく付き合うには、ということが書かれ、今の私に足りないのはここだなと思った。

自分を卑下せず、私はこういうものなんだって思うところまでは、なんとなくできてきてると思うけど、そんな自分で、どうやって他人と関わっていくか、自分をコントロールするか、そこがまだわからない、できない。

大人になってからも、失敗したなって思うことがいっぱいある。

もっと早く「HSP」という概念に出会いたかったなって思う。

もし今、私の学生時代みたいに苦しんでる子がいたら、この本を読んでみて欲しいな。

それから、子育てしてる親たちにも。

自分の子供が繊細すぎる、敏感すぎると思ったら、読んで欲しいな。

「そんなこといちいち気にするな」とか、親としては良かれと思って言うのかもしれないけど、子供はそれを言われるととても傷つく。

それはそれは深く、後生まで、ずっとずっとひきずるほどに傷つく。

「気にする」訳じゃないんだよね。他の子や大人でも気づかないことに「気づいちゃう」んだと思う。

だけど子供にはそんな違いわからないから、自分がダメなんだ、気にしすぎる自分はおかしいんだ、って、どんどん自分を否定していく。

そうなったら、つらい。

そうならないように、もっと広く「HSP」という概念が広まればいいなって思う。











この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?