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「死にたいけどトッポッキは食べたい」
久しぶりの読書感想文。
年末年始に母と歩いていて、ふらっと立ち寄った本屋で衝動買いしたものです。
タイトルに非常に惹かれました。
前からこの本の存在は知ってたんだけど読んでなくて。
年末年始暇だし、やっぱり気になるから買っちゃおうと。
私自身、「死にたい」という気持ちは潜在的にあって。
積極的に「死にたい」訳ではなく、「自殺願望」とは違う。
なんていうか…いつ死んでもいい。みたいな感じ。
あわよくばできるだけ早めに、苦しまず、綺麗に死にたい、それなら今すぐでも構わないなぁ、という感じ。
こんなこと言ったら怒られるって知ってるから、絶対自分から人に言わない。
けど一人だけ、同じことを言う友人がいる。
みんな怒られるって知ってるから言わないだけで、同じように思ってる人ってある程度いるのかな?
そんなことないか。
まあ今はそんな感じで、積極的に「死にたい」って思うことはない。
だけど数年前、毎日帰り道に「死にたい死にたい」「どうやったら楽に死ねるか」ばかり考えていたことがあった。
今通り魔が襲ってきて心臓をうまく一刺ししてくれたらどんなにいいか、でかいダンプカーが突っ込んできたらどんなにいいか、心臓一突きで死ぬにはどんな刃物でどこを刺したらいいか、そんなことばかり考えながら帰路についていた時期があった。
そのときはもう無意識に、帰り道になるとこの思考が頭を支配してた。考えようと思って考えてたわけじゃない。
そんな状態だったんだけど、「死にたい、どう死のう」と共に、毎日考えることがあって。
それが、「晩ごはん何食べよう」ね。
これ、気づいた時はすごく可笑しかった。
めちゃくちゃ死にたいと思ってるくせに、生きるために食べようとしてるのね。
その二つのみを、無意識に毎日考えている自分がとてつもなく滑稽だった。
だからこの本のタイトルを見たときに、その時のことを思い出したんですよね。
それで、すごく気になって読んでみました。
この本は、著者とその主治医の会話をそのまま書き起こして本にしたもの、という感じ。
著者は、主治医との会話を録音して後で自分で聞いていたらしい。
感想を結論から言ってしまうと、正直、私にはあまり染み込んでこなかったんですよね…
まず形式的な部分なんだけど、韓国語を翻訳しているせいか、会話がちょっと不自然に感じちゃう。
そして内容的にも、著者にそこまで感情移入できなかった。
期待値が高かったせいもあると思うんです。タイトルだけで、なんか、自分ととても似た人物が書いてるのでは?って、思っちゃってたから。
とは言いつつも、共感できるなあと思うところもあったので、少し引用しながら書き留めていこうかと思います。
常に部分と全体とを分けて考えてほしいと思います。誰かのある部分が好きだからといって、全てを好きになるわけではないし、どこかが気に入らないからといって全てが嫌いになるわけじゃないですよね。
まずはこれです。
これは主治医の言葉なんだけど、ほんとそれですよね…
私は割とこれができない。
昔よりマシだなと思うけど。
昔は本当にひどかった。
完璧主義で、ひとつでもダメだったらもう全部ダメ。
自分に対してもそう思っていたし、人に対してもそう思ってた。人間だけじゃなくて、物事全てに対してそう思ってた。
何か一つでもうまくできない自分はもう死んだ方がいいと思ってたし、誰かとちょっとでも意見が割れればもう二度と仲良くできないと思ったし、友達の欠点は絶対に直すべきで許せないと思ったし、何かにチャレンジしている時も、一つ失敗したらもうこれは終わり、取り返しがつかないと思って絶望した。
そんなんだから、常に緊張状態。ビクビクして、頭はフル回転。家に帰ると疲れ果てて屍になっていた。
今でもそういうとこはある。
この本の著者もそういう極端なところがあるらしく、その部分は共感して読んだ。
誰かが私を見下していたわけではなく、実は私自身がいちばん自分を見下していたのです
人間は多面的だという言葉は、私がもっともよく使う言葉。でも、いちばん実践できない言葉。
わかります。
私ももっと、「人間は多面的だ」という言葉を使っていこうかな。
はい次、
自分より優れた人に会うと萎縮し、自分より劣った人に会うと堂々として、どこかホッとする自分がとても嫌だ。
これもわかります。
ある程度当たり前かって思う部分もあるんですけどね。
例えば、職場で、自分が教えてもらう立場だと萎縮して、自分が教える立場だとホッとする、とか。
だけど、そういう当たり前のレベルを超えちゃう時ってあるよなあと思う。
異常に萎縮して、この人はこんなにできるのに、なんで自分はこんなにできないんだ…って自分を過度に責めたりとかね。
あとこの思考ってもうひとつ怖いところがあると思うんですよ。
「優れてる」とか「劣ってる」とか、勝手に自分の中で人間の優劣をつけてるところ。
それこそ職場とかで、客観的な成績が数字になって現れてる、とかならわかる。
数字のいい人は優れてて悪い人は劣ってるってことになるかもしれない。
だけどそういう場面じゃない場合が怖い。
例えばその人の容姿や肩書き、結婚してるしてない、子供いるいない、交友関係、経歴、そういう「情報」を元に、勝手に自分の中の物差しで人間の優劣を決めてないか。
他人について自分が知り得る情報なんて一部だと思うし、その人の何を知っててジャッジしてるの?って思うし、そもそも人間に優劣なんていらない。
だけどこれ、割とみんなやってるなあとも思う。
「マウンティング」っていうのも、勝手に優劣つけるところから始まるんじゃないかなあ。
嫌ですよねマウンティング。
次、
私は何かを手に入れてしまうと、それを過小評価する傾向がある。
これも、わかります…
すごく素敵に見えてたのに、手に入れてしまうと、そうでもなく思えてくる。
まあこれも、ある程度みんなそうかなとも思うのだけど。
著者はこのことについて、「問題は自己肯定感だ」としている。
そうなのかもしれない。
すごく素敵なものだと思っていても、自分が持っているということで価値が下がる、みたいな。
私も自己肯定感が低いことは認識してる。
最近、「自己肯定感」て言葉よく聞くようになりましたね。
私は日本の教育だと、自己肯定感が育つわけないと思うんですよね。
「自己犠牲」とか「謙虚」「我慢」が代々美徳とされてきた国ですよ。もう令和だし、昔ほどではないにしろ、その精神て残ってると思うんですよね。
私はそこら辺を刷り込まれて育った感がある。
なまじ真面目だったから、間に受けて、教えられた通りに身につけた気がする。
「自己肯定感」も誰か教えてくれたら良かったのに。
私がこの本で気になったのは、この3か所かな。
一番共感したのはやはりタイトルだった。
しかもこれ、先生の言葉だからね。著者の言葉ちゃうからね。
本はタイトルだけじゃわからんですなぁ…