先天性十二指腸閉鎖症で生後3日で手術をして大人になった今の話
僕は先天性十二指腸閉鎖症という病気を持って生まれました。生まれてすぐに異常が見つかり、大きな病院へ転院となり、生後3日でお腹の手術をした。それで終わり、とはいかず、結局12歳の誕生日まで通院していました。
これだけ読んでみて、どう思われたでしょうか?まぎれもない自分が経験した事だけど、「大変だったね」「すごい」「なかなかない経験」「いま大丈夫?」と思われたかもしれません。「へー普通だね」とはなかなかならないはず。あ、何も「すごいでしょ!」なんて言いたい訳ではなく、先天性の病気あるあるかもしれないけど、本人からしたらこれはいたって普通なのです。この経験しかしていないので、すごいとは思わないし、普通。なんなら、子供の頃は、自分と同じようにみんなも頻繁に通院しては様々な検査を受けているものと思っていた位。大きくなった時にそうじゃないと驚いたのを覚えています。
兄弟で手術をしたのは自分だけど、気づいたらもうすでにお腹にその跡はあったから、嫌とか受け入れるとかではなく、それが普通。この跡ありきの自分。跡がある体しか知らないから、跡なしの自分の体は想像も出来ない。跡なしの体、一回くらい見たかったかも?と考えた事はあるけど、手術を受けなかったら死んでいたので、見なくていい。
「すごい」なんてない。
ただ通院するのが当たり前で、時々体調が悪くなっていただけ。健康な人と変わらず、普通に両親とばあちゃんに育てられた。しんどい時はしんどいものの、「しんどい時だけが人生ではない」と、子供の頃から「楽しいこと」を目を向ける方がずっと楽しいといつの間にかかんがえるようになったのも大きい。
病気は僕の全てではない。
それよりもすきなことは沢山あるし、好きなことをしていたいし、好きなことを考えていたい。通院が終えてからは尚更病気のことを考える時間は減った。お腹に跡はあるので体を洗う時は目にするので思い出すが、それは当たり前過ぎて見た所で何も感情は生まれない。
無視ではない。
しかし、病気でも手術を受けてこの世界にとどまったのだから、僕は下を見るのではなく前を向いてこの人生を進んだ。
このまま一生を終えるのかな?
なんて過ごしていた僕を、あるテレビ番組が再び闘病の記憶を蘇らせたから、人生ってほんと何があるかわからない。
それは小児病院のドキュメンタリーでした。たまたまつけたテレビ番組がそれで、ぼんやりと見ていたら、自分と同じ病気の子供が映し出されて驚いた。ずっと通院をしていて、受けた手術も一度ではない。懸命に闘病している小学生がいた。通院していた自分がその子と重なり、心がしめつけられる感覚になった。すぐに母親に質問をした。そこで初めて、自分が大変な病気だった事を知ったのです。
手術したり通院していてシンドイ日も多かったが、まさかそんなに大変だったなんて、と頭が混乱した。
動揺したと同時に、ある違和感に僕は気がついた。壁だ。壁。病院の中の壁。
何もなかった。
何も、です。
何もない。
ただただ壁は白い。
てっきり、僕は日本中の病院内の壁はホスピタルアートで埋め尽くされているものだと思っていたのです。子供の頃に通院していた時、ほんのわざに壁に飾られたアニメの絵に勇気をもらったので、素敵だから日本中に普及しているものだと勘違いしていた。
それは残念ながら実現していなかった。
どうして??
実現していないのには様々な理由があるのだろう。だがしかし、だからといって実現していなくていい理由にはならないはず。
どうしてだろう?
している人が少ないから?だったら自分がしたらいい、自分がしよう。「ホスピタルアート、日本中に普及したらいいな」と願っても、その願うだけでは実現しないとわかった。じゃあ、「誰かしてくれないかな、誰かもっと癒される絵や写真とか飾ってくれないかな」と願っていた自分の「誰か」になろうと決めました。そこから僕の、僕たちのホスピタルアート活動はスタートしました。
初めて展示が実現した時、設置作業をしながら嬉しくて泣いた。「夢だけど、夢じゃない!」と病院を出たあと叫んだ。
それから3年、17ヶ所の病院や施設で展示をして、現在も国立病院など5カ所で海の写真や映像をホスピタルアートとして展示しています。ホスピタルアート活動のNPOも設立しました。自分があの病気じゃなかったらきっとしていないと思う。子供の頃の自分には、今の僕はどう映っているだろう?「誰か」に少しはなれているだろうか?日本中の病院でホスピタルアートを普及するため、頑張ります。
ホスピタルアートのNPO
大阪でダイビングスクールしています