365日たちを、手を振って見送る
2020年→2021年。ただ西暦の表示の下一桁が変わるだけの現象をよろこんだ。あぁ私は生きていたなぁ、そして明日からも今のところ生きていける予定なんだ、と。
これは少しも当たり前のことではないから。
わたしたちは毎日時間のグラデーションの川の中に足を浸して前へ進む。そこに自分で線を引いたり、その線を意識的に跨ごうとするのが私はすきだ。線の上に腰かけて振り返るのも。
振り返るのがすきだ。今まで生きていなかったら、今の私はいないから。1分前にも1時間前にも昨日にも、戻れない。
振り返ることは、生きていた私を、生きている私の知恵の種に変身させるような作業だ。過ぎた日を想うことは、この1年で自分が命をどう使ったか眺めて触れて、確かめる手作業。
2020年を、写真4枚で振り返る。
夫と子が目の前に、同じ時間軸にいてくれる世界のうつくしさを知った。
今回、漢字でも今年を振り返り、来年を描いた。
2020年は抱。
2021年は跳。どちらも身体とつながるものを選んだ。
2020年は、よくやったと自分を抱きしめたい。そして悲しい知らせ辛いニュースに、胸に抱いた気持ちもたくさんあった。疲れや不調もあった。そんな自分も受け入れて、その胸のまま、目の前の日常と家族がまたとないものであると、抱きしめることもできた。
2021年はこころを少し軽くできたらうれしい。気楽に、背伸びしたり。ぴょんぴょんと足を動かして、心拍数を少し上げて。小学生時代、体育はいつも1だったけれど。自らの意志で、からだをうごかしていこう。
未来については、ザコーチという書籍に登場する「ドリームツリー」も作成した。
私の生きる目的は、終わりのない営みへ限りを尽くすこと。引き継ぐ世代にしあわせを繋ぐこと。竹のようにしなやかに、みずみずしくいること。
私が目的に向かう途上でみえるものは、深呼吸をしている自分。一瞬の光がに見惚れて足を止める瞬間。「まいっか」が口癖になっている自分。泳いで、泳いで、泳ぎ続けられる場所。
その途上でどんな恩恵を頂けるか。心安らげる場をいただけるように。自他の境界を知り相手も自分も尊重できる場をいただけるように、ありたい。
365日たちを撫でて、今までありがとう、と感謝して、手を振る。
記憶の中で、写真の中で。また逢う日まで、2020年の私たちが元気にしていてくれますように。
幸せは歩いてこない、だから歩いてゆくんだね。ゆこう。