他人と縁を結ぶということ:特別養子縁組―家庭で子どもを受け入れるということ
11/30(水):特別養子縁組⑤
今日もこのページに来て頂いてありがとうございます。
本日水曜日は里親制度、特に特別養子縁組について考えています。
今日は社会養護という名の元に、社会で子ども達の生活や成長を見守ろうとするこの国が、何故施設で育てるのではなく家庭に預けようとするのか…子どもの成長や心に、家庭や親という存在がどう意味があるものなのか、考えていきたいと思います。
今日のこのページは、研修で挙げられていた家庭生活の必要性に加え、私なりの経験談や思い、解説を加筆していこうと思います。
是非、最後までお付き合いくださいね。
〇いつもそばに安心と信頼
特定の大人との愛着関係の下で養育されることで、自己肯定感を育み、基本的信頼感を獲得できる
⇒私は元保育士の為、保育士資格を取るときに児童養護施設に泊まり込みで実習をさせてもらった経験があります。その中で今でも印象的に残っているのが「ただいま」「おかえり」のやりとりについて。
養護施設で子ども達とかかわる保育士さんたちは、お仕事なのでもちろん24時間子ども達と生活を共にするわけではありません。つまり今日「いってらっしゃい」を言ってくれた人は「ただいま」の時にはいない、今日と昨日では「いってらっしゃい」を言ってくれる人が違う。また掛けられる「いってらっしゃい」「おかえり」も多くの大人からは言われるかもしれないけれど、それは多くの場合自分だけに掛けられた言葉ではないということ…それが彼らの日常なのだと、当時の私には何だかとっても衝撃的な違い「寂しさ」として残っています。
もちろん現場の保育士さん達は、日々細やかな配慮をしながら子ども達と温かくかかわっておられるとは思いますが、親がいつも当たり前に向けてくれる視線や言葉、愛情は、なかなか施設で賄うことは難しいのだと思います。時には相手のしていることなんてお構いなしに「聞いて聞いて!」とまとわりつくことができる、安心してダメなところや困りごとを見せられる関係の大人は子どもの成長をグイっと後押しできるのではないかと思います。
〇大人のモデルが身近に
適切な家庭生活を体験し、家庭のありようを学ぶことで、将来、自分が家庭を築く上での基盤をつくることができる
⇒家庭という小さな社会を形成するためのモデルとしての役割。こんな風にいうと、きちんとした姿を見せなきゃ!となりがちですが、私は全く逆だと思っています。
きっと私たち大人がもつ「普通」なんて感覚の大部分は、育った家庭環境や親の価値観によって形成されたもの。そのモデルとしての役割を担うには家庭での大人の姿がいいだろうということです。施設の保育士さんの「仕事の顔」とはまた違う、家庭の親の「嬉しい顔」「悲しい顔」「喧嘩している姿」「仲直りする姿」「張り切っている顔」に「ダラダラだらしない姿」そんな嫌で嫌で仕方ないけれど無理やり心を切り替えて踏ん張っている姿。
大人のどうしようもないながらも社会と折り合いをつけて生きていく様を見せ、子ども達に将来のあるべき「捨てたもんじゃない姿」を身近に見せることはその子が大人になった時に出会う困難への力になってくれるのではないでしょうか。大人も素直な姿を見せる覚悟をもって子どもを受け入れることが大切なのではないかと思います。
〇生活技術を身につける
家庭生活や地域生活の中で、人との適切な関係の取り方を学ぶとともに社会性を養うなど、日々の生活経験を通じて生活を獲得できる
⇒上記の「大人のモデル」に近い部分があると思いますが、こちらは大人が大人単体だけでなく、社会に属する大人モデルとしての役割なのではないでしょうか。施設で育った子どもは、大人との距離感に独特の近さと独特の希薄さがあったりします。
家庭の中で条件付きではない安心安定した愛情を基準に、養親の他者とのかかわりの姿から学ぶことは、子どもにとって知らず知らずのうちに身につく大人像なのではないかと思います。
以上、家庭で子どもを受け入れる意味についてざっと考えました。
次回は子どもを預かるということの実際について考えていきたいと思います。