新宿中村屋で怖そうなおじさんの隣の席になった話
自分の実家が長野県の南部にある関係で、一番なじみがある東京のターミナル駅は新宿だ。石川啄木が故郷の訛りを聞きに上野に出かけたという有名な短歌があるが、東北や茨城の人にとって上野駅が特別な場所のように、自分にとって新宿駅は訛りを求めて彷徨うことこそないものの、少しだけ特別な場所だ。
何年か前に、実家に帰るためにそんな新宿駅に降りたち、バスタ新宿からの高速バスの出発時間までかなり余裕があったので、新宿紀伊國屋で立ち読みし、その足で近くの新宿中村屋に入った。中村屋のカレー、決して安くはないのだが、時に無性に食べたくなる。自分の作るカレーの味の参考にするためと、自分に対して言い訳をして、中村屋ビルの地下2階にあるマンナという、中村屋ビルの中では比較的リーズナブルなレストランに入った。このマンナというレストラン、リーズナブルといってもテーブルに対してウェイター、ウェイトレスの人数もなかなか多く、上品な雰囲気のお客さんが多い。
ピシッときめたダンディなウェイター長とおぼしき方に、「おひとりさま、こちらへどうぞ」と、二人がけのテーブルに案内されたのだが、席に着く前に隣のテーブルに座っているおじさんを見て、小心者の私はかなりギョッとした。このおじさん、チラッと見ただけなのだが、ガタイがいいだけではなく、顔に何やら傷あとがあるのである。傷あとだけでなく、両方の耳がつぶれてギョウザのようになっている。服装も派手な柄の上着を着て、カタギの雰囲気は微塵もなく、極道の方か?と頭によぎり、ビビってしまった。よりによって何という席かと、ウェイター長を恨めしく思った。しかし、この状況で別の席にしてくれとも言い出せず、妙な緊張感で、背筋を伸ばしてメニューを見るが、隣の怖いおじさんが気になって仕方がない…
しかし、いつまでもメニューとにらめっこしていてもらちがあかないし、この怖そうなおじさん、さっきから何やら美味しそうなものを食べている。さとられないようにチラチラ横目で見ると、カレー味のチャーハンみたいなものに見える。ああこれが、入り口に張り紙のあった期間限定の中村屋のビリヤニかと気づいた。極道風のおじさんの隣で同じものを食べるのも、少し気がひけたが、あまりに美味しそうなので、自分もこのビリヤニを注文した。タイトルにある写真がこのビリヤニなのだが、ジャポニカ米を使っているが、中村屋のチキンカレーを思わせる味でなかなか美味しい。そうこうするうちに、隣のおじさんビリヤニを3分の1ほど残したまま、トイレに立って行ってしまった。すると、そうとは気づかないウェイトレスの方が、おじさんのビリヤニを片付けようとするではないか。思わず、「この席の方、トイレに行ってまだ食べ終わってないと思いますよ」と伝えているところに、おじさん肩で風をきって帰ってきて、ウェイターの方は「申し訳ありませんでした」と平謝り。
その後、この怖そうなおじさんにお礼を言われて、自分も「あまりに美味しそうなものを食べているので、思わず注文しました。なかなか美味しいですね」と話すと、場が和んで、「そうか、美味しそうに見えたか」とおじさんも少し顔をほころんだ。その後、同じものを食べているよしみで、おじさんの身の上話を聞くことができた。おじさんは東北から若いころ出てきて、ギョウザのような耳は柔道をずいぶんやっていただめだそうだ。その後、ガタイのよさと柔道の腕をかわれて、本当にヤクザからの誘いもずいぶんあったそうだ。おじさんは極道には入らなかったが、同じころヤクザに入った友人も何人かいたが、抗争で亡くなった人もいて、ヤクザにならなくてよかったと思ったそうだ。おじさんはヤクザに入るかわりに不動産業に入り、若い頃はずいぶん派手な生活をしていたそうだ。今でも新宿歌舞伎町界隈を根城に、不動産の仕事をしているそうで、再婚した2番目の妻にも先立たれ、今は癌を患って治療中とのことだが、知り合いに癌を患っていること話しても信じてもらえないのだそうだ。確かに、ガタイもよくて70歳過ぎだそうだがとてもそうは見えない。自分はこれから長野の実家に帰るところで、今は北関東に住んでいることなどを話した。
そんな話をするうちに、「俺がおごるから」といってコーヒーを注文してくれた。そしてコーヒーも飲み終わって、二人連れだって会計に行くと「食事もおごるから」といわれた。断って、怖いおじさんの気を悪くしてもいけないと思い、「どうも、ごちそうさまでした!」と大きな声でお礼を言った。「何かあったら連絡くれよな」とおじさんに、不動産業と書いてある名刺をいただいた。自分は残念ながら、歌舞伎町界隈の不動産には、いまだ縁がなくおじさんにはまだ電話せずじまいである。
なかなか強烈なパンチの効いた新宿の思い出ができた一日であった。子どものころならいざ知らず、この歳で初対面の方にご飯をおごってもらうことがあるとは思いもよらないことであった。新宿に立ち寄ると、あのおじさん元気にしているだろうかとふと頭をよぎる。
あっ、そうだ、noterの方でどなたか新宿歌舞伎町の不動産にもしご興味がおありでしたら、おじさんの連絡先をお教えしますのでご一報ください。お待ちしています。