ごはんをたべる・うちの「おいなりさん」
誰にでもあるんじゃないだろうか。
わが家風の一品が一般的な料理とはちょっと違ってたってこと。
「〇〇」という料理だと信じていたのに、
世間の「〇〇」とはちょっと違った料理だったってこと。
ある程度の年齢になって、外食したり、よその家でご馳走になったり、
売ってる「〇〇」を買ったときに、
あれ?これって今まで思ってた「〇〇」と違うよねーって、
初めて気が付くこと。
おふくろの味とか、そういう違いじゃなくて、
ちょっと違うよねーって感じの違い。
例えば、名古屋出身の知人の場合なんだけど。
家には人数分の鉄板があって、
ナポリタンを食べるときは必ず鉄板に盛り付けられてたので、
普通の皿にナポリタンが乗っかっててびっくりした、とか、
そういう違い。
私の場合は、おいなりさん。
小さい頃からどこかに出掛けるときのお弁当は「おいなりさん」だった。
家族で遠出するときも、
遠足に行く時も、
運動会の時も、
お弁当が必要な時はいつもおいなりさんが入っていた。
食べやすいからなのか、
家族の誰かが好きだったからなのか、
ちょっとごちそう風な感じがするからなのか、
理由はよくわからないけど、
お弁当 = おいなりさん の方程式は私の中に刷り込まれてしまった。
なので、
子供たちが遠足に行く時も、運動会のときも、
何か特別なイベントのときは、
私もおいなりさんを作って持たせていた。
自分で、最初においなりさんを作ったときは、
もちろん失敗、した。
当然ながら、母親のまねをして、
油揚げを煮付けるところから始めたわけだけど、
煮るときに
「油揚げは広げてから煮ないと
くっちゃくちゃになったまま固まって寿司飯が入らない」
なんてことは知らないので、
仕上げの時に、ものすごく苦労して、穴が開いた失敗作ばっかり。
あぁぁ。
かろうじてお弁当分をキープ。
ま、何を作るときでも、最初は失敗するよね。
さて。
わが家の「普通」のおいなりさんが、
もしかすると一般的な「普通」のおいなりさんとは違うのかも?
と気が付いたのは、
かなり成長してからのこと。
たぶん、高校生くらいまでは気が付いていなかったような気がする。
どこが違うのかというと、
うちのおいなりさんは、
中に入っている寿司飯が、
五目寿司みたいなごはんだっていうこと。
こんな感じの寿司飯が入ってるんですよね。
高校生くらいになって、
売っているおいなりさんを食べてみたら、
具が入ってない。
なんか手抜き?みたいな気がして、
「これ、中身はいってない~」って言ったら、
おいなりさんって、せいぜい胡麻くらいしか入ってないでしょー、
と、みんなに言われて驚く。。
そして世間知らずだと呆れられる。。
それ以来、色んなおいなりさんを食べたけど、
中の寿司飯に具が入ってるのは、
「五目いなり」だとか、「山菜いなり」だとか、
「特別」なおいなりさんですよってネーミングされていることに気が付いた。
そうなんだー。
うちの「普通」は決して普通ではないらしい。
ついでに、もひとつ。
一般的だと信じ込んでいて、「それ」とは違ったのは、
きな粉のおはぎ。
おはぎは祖母が作っていたので、
ずーっと市販のおはぎを食べたことがなかったんですよね。
大学生になったある日。
お土産のおはぎを友人たちと食べたんですが、
きな粉のおはぎを食べて驚いた。
「中にあんこが入ってる~っ!」
友人たちは目が点。
「入ってるでしょー」
またまた世間知らずだと呆れられる。。
いや、きな粉のおはぎは、
もち米のお団子の周りにきな粉がまぶしてあるだけじゃーないの?
中にはあんこは入ってないんじゃないの?
中にあんこを入れるのはなかなか面倒だものね~。
だから、祖母は周りにきな粉をまぶしていただけだったのかもね。
いや、もしかしたら祖母にとっての「きな粉のおはぎ」って
「あれ」が普通だったのかも?
この事実に気が付いた時、
すでに祖母は他界していたので、
なんで中にあんこが入っていなかったのかは永遠の謎。
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ということは、
家で料理を作らなくなったら、
料理の標準化が起こるってことなのかな。
「〇〇」って料理を思い浮かべたとき、
ほぼ同じ料理を、みんなで思い浮かべるようになるのか?
なんてことを考えると、ちょっと怖いな。
いや、よーく考えると便利になるってことなのか?
レシピの標準化が簡単になるもんね。
使い道はいろいろありそうだ。