ごはんをたべる・味の記憶
味って記憶されるものだってことに気が付いたのは割と最近だったような気がする。
それまでは「記憶」っていうと、
勉強や数字に関することとか、
人の顔とか地理関係のこととか、
漠然と「思い出せる」事についてのあれこれを
ひとまとめにして、
「記憶」という言葉として認識していたように思う。
だけど、その認識が変わったのはある日突然、だった。
音楽を聴いていて、ふと、
あっ、「音階」って記憶しているものなんだ、
それが絶対音感ってこと?
と気が付いて、
同時に、連想ゲームのように、
味だって「記憶するもの」なんだって、
頭の中で何かが「ピコピコ」動いて、
初めて理解した。
味の記憶っていっても、
「食べた料理の味」というような、
総合的な味の記憶があることは以前からわかってたけど、
それよりもっと「根本に近い味」というのも記憶しているんだって
遅まきながら気が付いた。
料理に使われている食材そのものの味、
調味料の味、
味にかかわってくる香り、
舌触り(粘度とかざらつき加減)、
水分の量、
固さ、
そういう部品に近いものが
個別に認識されて、さらにカテゴリー別に分類した後、記憶されていて、
それらを総合して「料理の味」として再構築されて、
あらたに記憶として残されているんだって、
そういうことに気が付いたわけです。
伝わりにくいかな。
えっと。
ここに料理があったとして、
食べる → 構成されている食材をパーツに分ける → それぞれの味を見極める → 食材として記憶 → 味の特徴をピックアップして記憶 → 組み立てて再構築して料理として記憶
ということです。
記憶の引き出しとしては、
食材別、味別、特徴別とか、いろんなカテゴリーのものがあって、
引き出しの中から出したり、入れたり、
ガタガタやりながら、記憶の再構築をしてるってことです。
結構面倒な手順を踏んでることがわかったの。
このことが、私の思考パターンにどういう影響を与えてるかっていうと、
わたしは、料理を分解してパーツに分けて考えてるってことです。
これと、これと、これを組み合わせるとこういう味になるはずとか、
逆に、この味はこれと、これと、これが組み合わさってできてるはずとか、
わかりやすく言うと、
料理がプラモデルみたいに見えてるってことです。
あー。
これは管理栄養士の職業病みたいなものかも?
って気もするけど、
そうじゃないんだな。
やっぱ、味の記憶があるから料理がプラモデル的に見えるんだと思う。
えー。
職業病だよなって思っているのは、
その料理を1人分に置き換えて、
材料に何を何グラム使ってるか予想してみたり、
さらに調味料として塩何グラムとか砂糖何グラムとか、
数値化できちゃうところだと思うの。
0.1g単位で考えちゃうのは、
これは、やっぱ職業病だよなって思う。
でもね。
ちゃんとおいしいから問題ない、はず。
食事が味気ない、なんてことはないし、
ごはんをたべるとき、
常に組み立てを考えてるってわけでもない。
たぶん、どこかにスイッチあるんだと思う。
初めて出会う食事、
初めて出会う味、
そういうときにはスイッチが入って、
認識できる限り、記憶する。
たぶん、私の脳みそはそういう仕組みになっている。
ほかの管理栄養士さんも同じかというと、
う~ん。この話をしたことないから、わからない。
でも、全員が同じってわけではないかも?
どちらかと言うと、
もしかしたら、料理人と呼ばれる人たちの中に
同じようなスイッチを持っている人、いるかも、です。
もし、能力開発されてない人がいたら、
スイッチの確認、してみたらどうでしょう~?
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