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誰のために頑張ってる?「自分のため」が一番大事な理由

みなさんいつも誰のために頑張っていますか?

私の周りには、他人のために頑張れる素晴らしい人をたくさん見かけます。人のために頑張れることは、素晴らしいことであると美徳とされ、自分のためだけに行動する人は、我儘で自己中心的であると嫌悪されることが多いですよね。
しかし、その考えは本当に正しいのでしょうか?


「人のため」の落とし穴

私がそこに違和感を覚えたのは、誰かのために頑張っている人が日に日にすり減っていく姿を見たときです。その人は「みんなのために私は頑張っているんだ」と語っていました。確かに、客観的に見てもその行動は周囲のためになっていました。
しかし、本人の疲労やストレスが積み重なるにつれて、段々とイライラしていることが増えていきました。みんなのために行動している人が、誰のためにもならない「怒り」の感情を撒き散らしだしたのです。

この状況を見て、私は疑問を抱きました。「人のために頑張ること」は、本当に理想的な行動なのか?それが自分自身をすり減らし、最終的にネガティブな影響を与えるなら、本末転倒ではないのか?
違和感を感じそれは一体どういうことで、なにが違和感なのか、それは私の目指す姿とどう違うのかを色々考えてみたので、言語化してみます。


「あなたのため」という言葉の違和感

具体的な例として考えてみます。
実はこれ多くの人が経験したことのあることではないかと思っていて、一番身近な例は、親が子どもに向かって「私はあなたのためを思って言ってるのに!」と怒る場面です。

反抗期の私なら「そんなこと誰も頼んでない!」と言い返すでしょう。今でこそそんな言い返し方はせず、「ありがとう」と一旦受け入れるでしょうが、少なからず抵抗感を感じるます。

それはなぜか。「あなたのため」というのは、あまりにも決めつけ的で押し付けがましいからではないでしょうか。何が自分のためになるかなんて究極的には誰もわからないはずですし、経験豊富な大人が子どもよりも分かることが多いのは確かですが、その経験がすべて正しいとも限らない。にもかかわらず「あなたのため」という美徳の盾を構えて、意見を強要しようとする姿勢に違和感を覚えるのです。

また、疑問があるのは「あなたのため」という言葉の裏には、「こうであってほしい」という親自信の願望が隠れているのではないでしょうか?
よくよく言葉の根を辿っていくと前回の「#4」の記事に書きましたが、必ず本人の「欲」にたどり着くのではないかなと思いました。つまり、親が子に「こうであって欲しい」という思いの押し付けを正当化しているだけのような気がしてなりません。

そして私が難しいと感じていることは、親自身もそこに気がついていないということです。きっと本当に子どものためを思って言っていると思っているのでしょう。ただ実際は、親本人の意見を押し通すための、ずるい言い方かなと思います。一番の問題はこの無自覚にあると思います。


「人のため」に頑張ることのデメリット

人のために頑張ることは見返りを求めてしまうというリスクがあります。「私はこんなに尽くしているのに、感謝されない」「報われない」「思ったとおりに行動してくれない」といった不満が募ると、最終的には怒りやストレスへと変わってしまいます。

もちろん人のために頑張り、その人が心の底から感謝し、頑張った人も報われることが理想的ではありますが、そんなことばかりでもありません。

電車で年配の方に席を譲ろうとして、逆に怒鳴られてしまう、困っている人がいると思って手助けしたけど、感謝一つされなかった。そうなると「こっちはあなたのために行動したのに」とイライラしてしまいます。私自身、身に覚えのあることです。

こうした事態を避けるためには、「人のために行動する」という考え方を変える必要があります。


「人のため」ではなく「自分のため」

まず私が思う解決策の一つは、「人のために行動しない」ということです。
これは決して、人のためになる行動を一切せず自己中心的に行動するということではありません。人のために行動するとき、「自分のメリットに目を向ける」ということです。

親子の例で見ていくと、親が子どもに何かを言う時に、「あなたのために言っているんだ」ではなく、「私達はあなたにこんな風に育ってくれたらは幸せを感じる」と親の欲であることを本人が意識するだけで、押し付けがましさはなくなります。これにより、選択肢は子どもに委ねられることになります。もしそれが実現せずとも、親は残念な気持ちにはなれど、怒ることはないでしょう。なぜなら自分の欲が満たされないことに怒ることは、まさに子どものやることで、我儘で自己中心的であるからです。
なのに「あなたのため」という美徳の盾を持つことで、押し付けること、怒ることを正当化してしまう。

どんな行動も突き詰めれば、「自分のため」であるはずです。それを意識することで、外部に見返りを求める必要はなくなり、イライラすることもなくなる。

つまり、人のための行動を取ろうと思った時、自分にどんなメリットがあるのか。電車で席を譲ったり、人助けをすることもそれ自体が自分が気持ちよくなる、ある意味「自己満足である」と割り切ることで、実行した時点で自己満足は満たされ、相手がどんな反応であっても問題はなくなる。


「人のためになる自分のための行動」を選ぶ

人のためになる行動を取ることは、きっと大切ですし素晴らしいことです。
ただもっと良いのは、それがある意味、自己満足であり人のためにもなるけど極論自分のためだよねって自覚していることだと思っています。
その自覚を持ったうえで、「自分のためにしかならない行動」と、「人のためにもなる自分のための行動」を天秤にかけたうえで、後者を選べる人が本当にすごい人だと思うし、私はそうありたいと考えます。


最後に

長々と書きましたが、前回の#4に続いて、結局捉え方次第だし自分の欲に向き合うことが大事という同じ結論にたどり着いてしまいましたが、それくらい私はそれを大切だと考えているんだなと改めて感じました。

ちなみに、最初の#1の自己紹介にも実はその辺をダイレクトに意識して書いている文章があるので、ぜひ探してみてください。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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