要素主義
ヴント
1879年にライプティヒ大学に心理学研究室を創設した。これが心理学の始まりである。このことからヴントは心理学の祖であるとされる。哲学から分離を目指した。
要素主義
概要
心理学の祖であるヴントの心理学を要素主義と呼ぶ。要素分解的な考え方であり、その他にも様々な当時の科学のトレンドを取り入れている。
説明
ヴントは人間の意識は分解可能であると考えた。よく例に使われるリンゴで考えると、人はリンゴを見ると『赤い』『丸い』『美味しそう』『硬そう』といったことを考える。これらをまとめたものがリンゴとして意識されるということだ。この時、『赤い』『丸い』という知覚されたものを『純粋感覚』、『美味しそう』『硬そう』という感じられたものを『単純感情』と呼び、これら二つが統合された意識(ここで言うリンゴ)を『統覚』と呼んだ。
内観法
概要
ヴントが用いた実験の方法。これにより、今までの哲学のような自己の内面を見つめる主観的な考え方から客観的な視点に基づく科学的な手法で心を捉えた。
説明
被験者を統制された状況で自らの意識を観察し、それを報告するという手法。この時、要素主義の考え方から『リンゴがある』ではなく『赤い』『美味しそう』といったような報告の仕方が求められる。
批判点
ヴント以降の心理学は祖であるヴントへの批判によって大きく発展していく。主な批判点は以下のようなもの。
①熟練が必要
自分が内観法を行うことをイメージしてほしいのだが、いきなり要素主義的な答え方を報告することができるだろうか。きっとできない人が大半だろう。少しはできてもそれが過不足なくできているかには疑問が残る。このように内観法は行う人が十分に熟練していることが必要になる。このような方法で本当に万人の心を捉えることができるだろうか。言語習得が未熟な子供や知的に困難を抱える人に内観法を行わせるのは不可能に近い。
②そもそも客観的じゃない
ヴントは内観法で第三者の客観的なデータを集められると考えていたが、この方法では十分に客観的なデータが取れるとは言えない。例えば、内観法を行った人が悪意ある人物で、それっぽく適当なことを報告している可能性を消し去ることができない。また、悪意なく誇張表現がされる場合も考えられる。いうなれば、内観法で得られたデータは真実である証拠がない。
③意識は分解できない
意識の分解ときいて違和感のある人もいるのではないかと思う。人間は本当に要素の組み合わされた形として意識をしているのだろうか。それでは説明できない現象や行動があるのでは?
④人の心を意識として捉えるべきではない
人の心は意識なのだろうか。人間の行動や価値判断は意識下で行われないことも多い。また、感情などの一般に心の問題とされるものが意識という言葉には入っていない。
面白かったところ
化学における錬金術師みたいなイメージ。たとえ現代で否定された考えでも明らかにしようとする手法が評価されるところが似ている気がする。ヴントの批判で発展していくところは哲学っぽい。これが19世紀の出来事というのが『心理学の過去は長いが歴史は短い』というのを実感させる。