「中立・中庸」が良いってもんでもない
時代の転換期の湯処、まいの湯へいらっしゃい♨️
自己表現したいけれど
「これでいいのかな?」とモヤモヤしているとき
「中立でいたい」「中庸でいたい」
こんな想い・信念、
もっていたりしませんか?
たしかに「中立・中庸」の視点は必要で
育てていくことで魂の成長に繋がると
私も思っています
ただ
その「中立」「中庸」という意識が
「自己表現することがこわい」
「自分の意見を言いたくない」
というところから起きているなら
それは見直した方がいいかもしれません
「こだわりがないから、わからないんです」
という表現を聞くことが
振り返ってみると何回もあります
また
「あまり偏った視点にならないように
いろんな人の話を聞くし、たくさん本を読みます」
これも、捉え方によってはとても良い心がけです
ただ
「偏りたくない」「こだわりはない」
↑
というこだわり(!)と化してる人
いませんか?
「偏りたくない」「こだわりはない」
そう主張することで
いったい「何」が守られているのでしょうか
たしかに
他方向の意見を聞いて、
いろんな人の意図を汲んで
いつでも「中立」でいたら波風はたたない
でも
その態度
自分にたいしてはどうなんだろうか?
のらりくらりと、本音から回避するために
使っているのであれば
それは
自分にたいして失礼ではないか?
モラルの面で
偏った情報を垂れ流して人を傷つけたり
誰の言葉も助言も聞かずに暴走することは
どうなのかな、、、
というところですが
そっちに転ぶ可能性を恐れるよりも
「中立」「中庸」で
「偏っていなくて」「こだわりが薄い」
↑
そんな自分でいることで
「自己表現したい」自分を
抑圧していることの恐ろしさ
感じてみてください
「中立」「中庸」を良いように使わない
=盾にしないってこと
自己表現は自己「主張」ではないです
だから
批判活動のようなことしなくていいし
何かの代表になって注目を浴びるだけが
自己表現ではないですよね🌸
♨️
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↑
6/30(金)でいったん締め切りましたが
今後、プラスαしたかたちで
通年メニューとさせていただきます
また公式LINEにてお知らせします〜
https://lin.ee/08G8KZM
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