「軽くなる」ってことはその分決断の機会が増える
時代の転換期の湯処、まいの湯へいらっしゃい ♨
現在移行中の「風の時代」は
決して一部の場所でささやかれている
怪しいお話なんかではなく、
ファッション雑誌なんかでも
ガンガン書かれています
ま、
時代というのは未来の視点から見てはじめて
「ああ、こういうことがあったよね」
と総括することができるもので
その渦中にいるときは
わかるような、わからないような
でもなにか明らかに価値観が変わっていくようなことを
「肌」で感じるものだと私は思います。
(だからこそ自分の感覚が大事★)
「これからの時代、どんどん色々な物事が軽くなる」
って聞いたことありますか?
この「軽い」っていうのは
「地(土)の時代」との対比ありきで
私たち人間の体感として
「軽く」感じられるということ
(100年後の人たちにとっては"当たり前"になるでしょう)
私が常々考えていることのひとつに
という仮説があります
/
「軽くなる」ってことはその分決断の機会が増える
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考えてみて!
軽やかにみんなが動いてるってことは
「これどうです?」「やりましょう!」
なんて風に決断の機会が巡ってきやすい
ということですよね🌸
だから
この転換期に大切になってくるのは
「決断」という言葉の印象を変えていくこと✨
なのではないか
もし
と今のあなたが思ってたりなんかすると
その思いが抵抗となり
それは
「軽くなりたいという想い」
「軽くなれる現実」と矛盾しているので
ものごとが思っている以上に停滞したり
ややこしくなっていくことがあるように思います
結構、この「決断」というものに
あんまりよくない印象を持たれてる人が
多いのかなと思ったりするのです
「決断」というと、決めて絶つ!!
頭に浮かぶイメージとしては
とんでもなく大きな現象に思えてきますが
それはこれまでの時代、
多くのひと/もの/ことが
「決めたからには墓場まで・・・」というような
重たいエネルギーで動いていただけであり
「決めたけど、ここは変えてみよう」と
微調整・ブラッシュアップしていくことは
なにも問題ではないんです
「決断」に重たいエネルギーを抱えている人は
このような↑
体験や思い込みがあるのかもしれません
たしかに
職場で役職についている方が
気分でコロコロ発言を変えることは
他人を振り回すことになりストレスを与えるでしょう
そういうことを言っているわけではなく
個人個人のあり方での
「決断」という言葉の印象を変えていきましょう
「こうなったらいいなぁ、でも〜(ネガティブ)」と
これまでの時代、休日のカフェや
金曜の夜の居酒屋や
仕事の隙間の気だるい時間や
無理しすぎて体調を崩して寝込んでいる布団の中で
妄想してきたことを
「こうなりまーす!こうしまーす!」と決めちゃう
そして
そう決めたことで、
状況が変わってしまうということを
引き受けるんです
↑
ここ大事☆テストに出るよ
決めてから起こった出来事や感情を通して
「やっぱちょっと違うかも」と思ったら
「違いました!◯→△にします!」と新しく決める
こうやって自分で決めていくのは楽しいもので
それがたとえ理想と違ったと気づいたとしても
そこからもっとこうしよう!が生まれる
とはいっても
「私、腰が重いんです」と思ったそこのあなたは
「腰が重い自分」を続けたいのか?
それとも
「もうちょっと気楽に進みたいな」なのか?
まずそれを決めましょう(~‾▿‾)~
たとえば
「もうちょっと気楽に進みたいな」
というオーダーを通して
何か遊びのお誘いが来るかもしれません
↑
そこに気楽に参加してみるのか?
誰が来るか?費用は?いつ?天気は?
吟味してから返事するのか?
参加した結果
「この友達とはもう話が合わないわ!」と心から思って
人間関係が整理されるかもしれないし
参加した結果
「一生の趣味にしたい!!」と思えるような
なにかに出会うかも
いつも無理してた仲間なら
罪悪感を持たず "気楽に" 参加しないわ!と
決めてみるのもひとつ
などなどこれは一例で
今、ひとりひとりが「軽くなる」流れの中にいます
周りが軽くなってから様子見て、、
なんてやり方は存在しません
っていうか
「軽くなる」というのは比喩だから
軽く扱われる、チャラいみたいなことではないし(笑)
「重くなくなる」って捉えたほうが
しっくりくる人もいるかもですね!
まずは
「決断」という言葉の印象を変えていくこと
意識してみてください
♨