許すって、定義がたくさんありそうで、キッカケはstandfmで、結論ありきの思考をしてしまったみたい…
『許す』について、思いつくままに綴ってみます。
一度書いて、ボツにした記事です。
再挑戦します。
ひと筆書きですので、どう着地するのか、僕も想像がつきません。
◆真っ先に思ったこと
昔、「優しさとは、許すことである」と、何かで読みました。
そのとき「なるほど!」と、若き僕はヒザを叩き感動したのです。
感動したのは憶えています。
しかし、なぜ感動したのか? それは全く思い出せません。
◆辞書的な意味
weblio辞書によると、こうありました。
この『許す』の意味を、「優しさとは、許すことである」に当てはめてみますと、以下のようになります。
1の場合、「優しさとは、希望や要求を聞き入れること」
2の場合、「優しさとは、過失や失敗を責めないこと」
3の場合、「優しさとは、『やらなくていいよ』と言ってあげること」
4の場合、「優しさとは、したいようにさせること」
5の場合、「優しさとは、自由を認めること」
6の場合、「優しさとは、うちとけること」
7の場合、「優しさとは、高い評価を与えること」
8の場合、「優しさとは、ゆるめてあげること」
9の場合、「優しさとは、逃がしてあげること(自由にしてあげること)」
変だとかオカシイとは思いませんが、ヒザを叩いて感動するほどでもありません。
なんか、シックリこない。
◆対義語
「許す」の対義語を調べてみました。
対義語は、「禁ずる・禁じる」と「罰する」です。
なるほど、と思いました。
このことを、また、「優しさとは、許すことである」に当てはめてみます。
「優しさとは、罰することをやめることである」
言い換えて、
「優しさとは、処罰しないと決めること」
僕の中では、これが1番しっくりきました。
昔、「優しさとは、許すことである」と何かで読んだとき理解したのは、こういう意味だったのかもしれません。
ならば、『許す』=『処罰しないと決めること』で、本当に良いのでしょうか?
◆仮説
いろいろ考えてみましたが、『許す』の定義が人によって異なるのは、どうやら間違いなさそうです。
このような ↑ 会話は、よくあると思います。
『許す』という言葉の定義を合わせることなく、微妙に違った意味のまま、会話するからです。
代表的な『許す』の定義は、以下の2つと思います。
①許すとは:「忘れてあげること」
忘れられなかったとしても、もう気にすることをやめること。
②許すとは:「処罰しないと決めること」
罰しなくて良いと、そう決めることです。
双方が①で会話しているなら、こうなります。
双方が②で会話しているなら、こうなります。
これが一般的な会話では、ミックスされてしまいます。
例をあげましょう。
許すように諭す人は、②の「許す」=「処罰しないと決めること」という定義です。
許せないと主張する人は、①の「許す」=「忘れること」という定義です。
すると、こうなります。
会話が、噛み合いません。
当然、意見がまとまることはありません。
・「許せない」と言っている人は その1
ここから先の記述の前提です。
被害者は加害者に『言葉や態度で、心を傷つけられた』とします。
その上で仮説を進めます。
「許せない」と言っている人は、「忘れられない」「忘れてなるものか」と、そう思っているのではないでしょうか?
この場合の「許せない」という被害者に、「好きなだけ殴ってくれ」とか「1千万円でも2千万円でも支払います。だから許してください」と、加害者が申し出たとしても、きっと拒否されてしまうことでしょう。
殴っても、お金を受け取っても、『忘れられない』のです。
もしくは『忘れるつもりがない』『忘れたくない』『忘れてたまるか』という心境なのです。
・「許せない」と言っている人は その2
「許せない」と言っている人は、「せめて、許さないという罰を与え続けたい」という思いなのではないでしょうか?
昔の法律のように「棒打ち10回」と裁判で決まったとしても、「よし、思いっきり殴ってやる」と思えるのは少数派でしょう。
殴ったくらいでスッキリするとは思えません。そう思う人が多いはずです。
そこで、『一生許さない』という罰を科す、という深層心理です。
神や法律が裁かないのなら、せめて自分ができる罰を行使する。そのような心理ではないでしょうか。
◆僕が許せない2人
1人は、A氏です。
僕はA氏を跪かせたい。屈服させたいのです。
なので、たとえ殺したとしても満足できません。拷問して土下座させても満足できません。
A氏の、本心からの『懺悔』が欲しいのです。
それほどまでに憎んでいます。
これは、僕だけで解決できます。たぶん。
僕が、自他共に認める結果を出せば、A氏のことを思考することさえなくなるでしょう。
忘れる?
忘れることはありません。どうでもいいことになるだけです。
もう1人は、関わりたくない人、B氏です。
「憎んだりしないから、とにかく一切関わらないでくれ」という感じです。
だから僕は、B氏を、もう半分許しているつもりです。
忘れることはありません。
◆優しさとは許すこと
対義語のところで、このように思考しました。
繰り返します。
「優しさとは、処罰しないと決めること」
つまり、僕が優しい男になるには…
例えばA氏やB氏が、僕に謝罪しようとしたときに、「謝罪は要らないよ」とすること?
これが、真の『優しさ』なのか?
優しさって難しい。
優しさとは許すこと、だとすると、許すって難しい。
◆結論
答えが出かかったと思ったら、また分からなくなってしまいました。
かえってグジャグジャになりました。
引き続き、また、思考してみたいと思います。
僕は、「僕は優しい男だ」という、結論ありきで思考したようです。
そして、「僕は優しくない」という結論になって、すごく戸惑っています。
◆この記事のキッカケとなったstand.fm
umiさんのコチラ ↓ を聴いて、
umiさんがトークのキッカケとされた、ひよこさんの放送がコチラ ↓ を聴いて、哲学し始めました。
今回は「書けそう」と思ったのに、またしても結論にたどり着けませんでした。
キッカケをいただきまして、umiさん、ひよこさん、ありがとうございました。
ひよこさんは「初めまして」ですので、もしリンクを貼ったことがご迷惑ならコメントくださいませ。即、編集や削除に応じます。
◆〆
まさかの、結論に至らず。
自分でもびっくりです。
ゆかりちゃん、あきれているかな?
こういう哲学系の記事、ゆかりちゃんは好みません。
高速スクロールされていると思います。
僕は、ゆかりちゃんが大好きです。
おしまい
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読むと、恋人ができてしまう自分に変わります。そういう本です。
ご一読いただけたら幸いです。
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