文章を読むということ
子供のころは文字を読むのがどちらかというと苦手で嫌だった。
しかし学校や大人は本を読めという。
嫌々読んでいたが、大人の言うこと聞いておくか…くらいだった。
ところが、最近になってやっと少しずつ文章を読むことを受け入れつつある。
あるアニメで、「本を読みなよ」といった(記憶があやふや)名セリフがある。何故名セリフなのかというと、本を読むことで自分の体調を知ることが出来るからだ、といったなるほど~!なやりとりがあるのだ。確かに、本を読んでいると自分の中にすっと入ってくるときと、全然入ってこないことがある。これは本が好きな人も当てはまるのではないだろうか?
本は主観で書かれている。他人の考えや視点を知ることも出来る。知識も得られる。
これはいいことである。
たくさん読むとこれは定番、鉄則みたいなのが出てくるわけだが、イマイチぴんとこないこともある。だがしかし、私は気づいた。同じ事実でも表現の仕方は様々で、しっくりこないのはその表現が自分に合わないからだと。
占いなんかで顕著になると思う。だいたい似たようなことが書いてある。いろんなのを探してもやっぱりそうなのか…と思いつつも受け入れられないこともある。だが、たくさん読んでいるうちに同じ内容なのにすっと入ってくることがある。体調もあるのかもしれないが、自分のなかで受け入れやすい表現があるはずだ。そういうときこそ、文章を読んだ価値があると思う。
世の中にはいろんな言葉が溢れている。
心地よいところが必ずあるはず。
時間がある限りたくさんのものを見てみたい。
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