やっぱり濃いよ珍道中〜バンコク編〜


南部です。

しばらく更新があいてしまいました。
申し訳ございません。自己満でやっていたのですが予想以上にいろんな方にお読みいただいたようで、感謝感謝です。

タイのお話、たくさんの方に読んでいただきありがとうございました。
まだの方は是非そちらも読んでいただければと思います。

話の順序が変わってしまうけど、タイのタオ島に行く前のバンコクでのお話を書こうかと思います。

私は夜の便で人生初のバンコクへ着き、空港からホテルへ移動しそのまま一日目を終えた。
そして2日目、ホテルをチェックアウトし、バックパッカーの聖地カオサンロードへ!!

まずは36℃の中バックパックを背負いタクシーのおじさんに話しかける。バンコクのタクシー運転手さんはみんな優しいプロフェッショナル達ですが、たまに詐欺ってくる人もいるようなので、勘ぐるに越したことはないと思い(知らんけど)タクシーに乗る前に運転手さんに「カオサン通りまではいくらですか?」と聞いた。
大体の相場を事前に調べておいたので、その情報とあまり大差がなかったので信用しタクシーへ乗った。

いざ、バックパッカーの聖地カオサンロード!!!

なんだか私が行った数年後カオサンロードは改革が行われて今はきれい(さみしい意味での)になってるんですって。
バンコクの発展した中心地とのギャップがすごくよかったんだけどなあ。。
私がカオサンへ行った時、第一印象としては空気は決してよくなかった。いや遠回しな表現はやめよう、バカみてぇに臭かった。(ごめんなさい)
タイの方はお野菜や果物をめちゃくちゃ食べるので、そのゴミが36℃に晒されればオイニーは出るに決まっている。
さあここで宿探し。綺麗なエアコン完備の場所に行きたいが、貧乏旅なのでエアコンなんて贅沢は言っていられない。カオサンロードから裏路地に入ると、NとGが行進していた。わたしはNもGもNGなのだが、そんな異国感さえも楽しくて、気にせず進むことにした。(Gだけはごめん、叫びました。。)

すると目に入ったのがこちらのゲストハウス。


ぜんぜんいい写真なかった。。気になる人はママゲストハウスで検索してみてね。
6人部屋で一泊400円くらいだったと思う。

裏路地に入った場所ではあるけどカオサンロードは眠らない街。夜中でも大爆音で音楽が聞こえ、エアコンもなく、申し訳程度に回っている扇風機からは温風が運ばれてきていた。
東南アジアは日本以上に湿度が高いので、夜でも気温は30℃以上ある。

虫対策に持ってきた薄手の長袖長ズボンを着るも眠れなく、薄着に着替え夜の街に飛び出すことにした。


とはいえ18歳。法律上も体の構造上もお酒は飲めない(意外とお酒弱いです♡)ので、とりあえず道端に立って欧米バックパッカーの酔っぱらいたちを見ることにした。
ぼーっと立ってやべえ連中をみているだけで結構楽しかった。

私いま、めっちゃ異国で、めっちゃやばい経験してる…!
身体中を興奮が駆け巡り、いてもたってもいられなくなった私は、トゥクトゥクの運転手さんのもとへ突進していき、市街地へ。
私は自由を求めていた。
8時から16時まで高校で授業を受け、公衆トイレで15分だけ寝て22時までアルバイト。
そんな毎日が終わった。
私は今ひとり、自由の国にいる。
身体中が嬉しいと疼いている。
そんな私がトゥクトゥクに乗り生ぬるい風をきって向かったのは、


バンコクの有名ピンク街、nana plazaである。(は?)

バンコク・ダーク・ナイトさんより引用


実は私が訪れた数年後、行政の指示もあり大幅に縮小されてしまったようだ。なので今は全然違う光景になっていることだろう。

多くのストリップショーやダンスショー、美しいレディボーイたちも有名だ。
そして彼女たちの胸には番号札がついており、おそらく指名をすればお楽しみがあるのだろうというルールを18歳の頭脳で悟った。

それぞれのお店は入り口のカーテンが閉まっており店内は見えないが、1cmほどあいたカーテンの向こうを除くとそこには、美しいダンサーたちが踊っていた。
年齢制限とかもわからないし、入る勇気はなかった。
すると外で客引きをしていた美しいモデル体型のレディボーイたちが声をかけてきた。

「フィリピン?」

え、私がってことですか?
「ノー」

「マレーシア?」

いや、マレーシアって多民族国家じゃない?
「ノー」

「あーもうギブアップ!!where!!!」

私の顔のくどさは国籍を越え人々を惑わせ遂には人の怒りまで買ってしまったようであった。
中学時代に兄がネパール人だという噂が兄の学校中に広まったほどに、私と兄は濃厚ソース顔なのだ。
「ジャパーン…」

「日本の男はよく来るけど(いや草)女はいないわ。あんたちょっとこっちにきて私たちと座りなさい。」

そして椅子に座らされ3人の美しいレディボーイに囲まれて客引きに巻き込まれてしまったのだ。
私はこのナナプラザで仕事がもらえたような気持ちになり、ノリノリで客引きを始めた。

当時ヘッタクソな英語しか話せなかった私は、「ビューティフルピーポー!セクシーダーンス!」と、アホなオウムのように叫んだ。
するとお姉さんたちが、それに合わせて「アハ〜ン」とポージングするという神プレーをみせてくれた。
この家系背脂マシマシの濃すぎるパフォーマンスは功を奏し、30分ほどで15名くらいの者が足を止めて店内へと吸い込まれていった。

するとひとりのおねえさまが私の頬にキスをし、「ありがとうマイフレンド、こっちへ来て」と私を店内へと誘った。
いやいや、あなた方は美しいですが私は女性?女体?には興味はないし、結局おれもカモになるんかいと思い、「ア、アイム エイティーン」とやんわり断ろうとしたのだが、「…ジュース?」と言われて店内へ入ってきてしまった。

まあいいや、まだまだ旅は序盤でお金はある。
ぼられたら日本語でわめこう。なんてアホのような発想でそのまま店内の大きなソファーに着席させられる。赤くてフワフワのソファ。
秋田書店さんの極道漫画で一番最初に死ぬ末端のチンピラほどに滑稽だ。

「サンキューベイビー」とお姉さまはマンゴージュースを出してくれた。

そしてそのままショーを見入ってしまった。
客引きのメンバーが男性だったから、ステージでしなやかに踊り狂う彼女たちも生まれた性別は男性なのだろう。
しかし全員本当に美しくスタイルがいい。男性特有の骨ばったかんじも一切ない長い手脚が鞭のようにしなり客を魅了する。

素晴らしかった。
母と昔フランスへ行った時にみたバーレスクショーを彷彿させる美しさであった。(いや母クセ強)

そしてそのままひとりどでかいソファに腰掛け、ずっとずっと見ていた。
幼少期から母に、職業差別と人種差別、そして同性愛者差別は絶対にしてはいけないと教わっていた。「世の中には頭のいい人が好きな人、髪の毛が短い人が好きな人、それぞれのタイプがあるでしょう?そのなかで同じ性別を好きになる人がいてもそれはおかしくない。絶対バカにしたりしてはいけないよ」母はいつもそう言った。

ママ、バカになんてしないよ。
彼らは美しいよ。
自分の性に誇りと自信を持ってる。

どれだけ時間が経ったろう。
そろそろ出ようと出口へ向かうと先ほどのお姉さんたち。

素晴らしいショーだったからぼったくられなければいいやと思い身構えると、
「サンキューベイビー 気をつけて帰るのよ クレイジーピーポーもいるからね」とみんなが見送ってくれた。
「ジュース…」とお金を出そうとするとみんなは、「ノーノー!サービスよ!やっぱりあなたは日本人なのね」と言って笑った。

ありがとうみんな。
日本で周りを気にして生きていた日々から抜け出せた気がしたよ。


…いや、出だしから濃すぎる。
宿へ帰り泥のように寝た。


終焉

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