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枕草子 今内裏の東をば

清少納言先生:はい、おはようございます。今日はこの段です。
舞夢    :それでは、現代語訳します。

一条院の仮皇居の東門については、北の陣と呼びます。
そこに、梨の木が高くそびえているので、「いったい、どれくらいの高さでしょうか」などと、いつも話題になります。
権中納言成信様は、「根元から切ってしまって、定澄僧都の枝扇にしたいですね」などと、戯れを言っておりましたが、その当人の定澄僧都が山階寺の別当に任ぜられ、そのお礼言上の日に、権中納言様も近衛府のお役人として同席なされたのです。
まあ、僧都はもともと背が高いのに、高い足駄をはいていたので、本当に背が高く見えました。
僧都が退席なされた後に、権中納言様に言ってあげました。
「どうして、いつかおっしゃられた枝扇を持たせておやりにならなかったのですか」
すると権中納言様は
「まあ、あんな戯れことを、よく覚えていましたね」とお笑いになる。
「定澄僧都には合う袿がない、すくせ君には合う衵がない」誰かが言っておりましたが、面白いことを言ったものです。

清少納言先生:はい、何とかです。ところで、これは説明が必要ですかね。
舞夢    :そうですね、よろしくお願いします。
清少納言先生:はい、まずね、仮皇居ですが、長保元年(999)六月に内
       裏が火事になりまして、一条院が仮皇居、当時は今内裏と言
       っておりました。
       本内裏の清涼殿では、南北棟のため、東が正面で、その左手
      (北)を北の陣と言いますが、一条院では南が正面ではあるけ
       れど、本内裏にあわせて、東を北の陣と言います。
       それから梨の木は、今の単位なら、10メートルぐらいでし
       ょうか。
舞夢     :はい、なんとなくです。

清少納言先生:・・・あやしいけれど、続けます。
       権中将様は、源成信様で村上天皇の皇子の致平親王様の子。
       道長様の養子になられました。
       それから、定澄僧都様は、山階寺ですから、今の奈良興福寺
       の別当。
       別当ですから、興福寺を管理するお役人的な職務になりま
       す。
       枝扇は、木の枝を扇のように用いたものとか、三つに分かれ
       た細枝の両面に紙を貼ったものがあります。

舞夢    :近衛府は取次のお役目ですか。
清少納言先生:そうですね、僧の慶賀の場合は、近衛中将が伝奉する決まり
       でした。
舞夢    :最後は、袿が長くて衵が短いから、長身の人は合う袿がな
       く、短身の人は、合う衵がないということですね。
清少納言先生:まあ、それよりも大切なのは、梨の木を見て、中納言様のお
       っしゃられた戯れが面白かったの。
舞夢    :あ、メチャクチャ高い木で枝扇を作って、メチャクチャ背の
       高い人にとですね。
清少納言先生:そうね、今だったら軽いジョークかな、そういうの好き。
舞夢    :わかりま、なんでもガチガチに重いだけが、面白いわけじゃ
       なし。
清少納言先生:要するにセンスなの、大切なことはね。

清少納言先生は、またウィンクである。
またまた、「バチッ」て感じ。
たいした話ではないけれど、ユーモアのセンスも多分にある。

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