紫式部日記第101話
(原文)
われもわれもと、さばかり人の思ひてさし出でたることなればにや、目移りつつ、劣りまさりけざやかにも見え分かず。今めかしき人の目にこそ、ふともののけぢめも見とるべかめれ。ただかく曇りなき昼中に、扇もはかばかしくも持たせず、そこらの君達のたちまじりたるに、さてもありぬべき身のほど、心もちゐといひながら、人に劣らじとあらそふ心地も、いかに臆すらむと、あいなくかたはらいたきぞ、かたくなしきや。
(舞夢訳)
われもわれもと、それなりの方々が思いを込めてさしだした舞姫たちであるので、なかなか目移りをしてしまうので、優劣もしっかりとは見分けられません。(ただし)当世風の方にはあっさりと、見分けがつけられるでしょうが。
そうは言っても、このような雲もない晴れ渡った昼に、顔を隠せる扇をしっかりと持たせることもなく、多数の君達が見物人に混じって見ているという状況で、それは、舞姫たちはしっかりとした身分や節度をわきまえているとは思うけれど、他の舞姫に劣ってはならないと思う競争心もあり、その中でどれほどの不安を感じているかと察すると、とにかく気になってしまうのも、我ながら考え方が頑な過ぎるだろうか。
紫式部特有の長文にして屈折感が込められた文である。
要するに、扇もなく見世物状態の舞姫たちに同情しているのである。
ただ、その同情を書きながら、そんな同情を感じる自分自身が「頑固過ぎる」とも書いている。
とにかく、女性が自分の顔を人前にさらすのが「恥ずかしい」とされていた時代。
現代人では、なかなか理解できないと思う。
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