紫式部日記第137話さるは、宮の御心あかぬところなく(6)斎院と中宮御所の女房の違いについて
(原文)
まづは、宮の大夫参りたまひて、啓せさせたまふべきことありける折に、いとあえかに児めいたまふ上臈たちは、対面したまふことかたし。また会ひても、何ごとをかはかばかしくのたまふべくも見えず。言葉の足るまじきにもあらず、心の及ぶまじきにもはべらねど、つつまし、恥づかしと思ふに、ひがごともせらるるを、あいなし、すべて聞かれじと、ほのかなるけはひをも見えじ。
(舞夢訳)
一つの例になりますが、中宮の大夫が参上なされ、(女房が)中宮様に言上を取り次ぐべき折りに、実に頼りがいがなく、子供そのものの上臈たちは、応対に出るとかは、ほとんどありません。また、応対に出られたとしても、何一つ、はっきりとお話もできません。言葉足らずでもなく、配慮に欠けている、のではないのですが、気後れをしている、恥ずかしいと思い込んでしまうので、つい、失敗をしてしまうのです。そういう失敗(失態)が嫌で、そんな恥ずかしい思いをするなら、一言でも、声を聞かれたくない、居留守を使おうとするのだと思います。
中宮御所に出勤しながら、居留守をし続ける名門貴族の子女たち。
(実家に戻れば、お姫様なので、何ら実務をすることはない)
出勤しても、「何の役にも立たない、何も期待できない人たち」。
紫式部の深いため息が聞こえて来そうな記述である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?