多和田葉子「百年の散歩」
冒頭部分に目を通しただけで、心臓がドックドクで本を持つ指先まで震えるような気がした。
わたしは、黒い奇異茶店で、喫茶店でその人を待っていた。カント通りにある店だった。
店の中は暗いけれども、その暗さは暗さと明るさを対比して暗いのではなく、泣く、泣く泣く、暗さを追い出そうという糸など紡がれぬままに、たとえ照明はごく控えめであっても、どこかから明るさがにじみ出てくる。お天道様ではなく、舞台のスポッとライトでもなく、脳から生まれる明るさは、暗い店内を好むのだ。
※誤変換、入力ミスはない。
かなり年上の知的でエレガントな友人から勧められた本。ようやく手にとってみた。(教えてもらったもう一冊は、残念ながら途中で積読)
今まで生きてきて、なぜ多和田葉子さんを知らなかったのだろう。悔しい。いや、今からでも遅くはない。
なお、帯にはこのような文章が・・・
わたしは今日も、あの人を待っている、ベルリンの街を歩きながら。
都市は官能の遊園地、革命の練習舞台、孤独を食べるレストラン、言葉の作業場。
世界中から人々が集まるベルリンの街に、経済の運河に流され、さまよい生きる人たちの物語が、かつて戦火に焼かれ国境に分断された土地の記憶が、立ちあがる。
たまりませんね!
音読したら素敵だろうな。印刷された文字を見ながら自分で声を出して読んだら面白いだろうなぁ。わたしはこういう言葉遊び、音遊びが好きなのだ。
村上春樹さんの文章で心が安定するのと反対に、心震えて共鳴して、情緒不安定に陥りそうで・・・手にした初日は引用部分を読んだだけで閉じてしまった。
今日は最初の章「カント通り」を読んで終わりにした。
この物語は、ベルリンに実在する10の通りをタイトルとした章から成る連作長編小説なのだ。
昨日知ったのだが、多和田葉子さんは朗読の公演を世界中で続けているらしい。最近では両国の「シアターX」で書き下ろしのテキストを朗読。ジャズピアノとのセッションも交えながら・・・。
ああ・・きっと多和田さんの朗読は素敵だろうな。
実は、今回急に多和田葉子さんを読むことにしたのには、もう一つきっかけがある。noteの穂﨑萬大(ほざき かずひろ)さまの記事を読ませていただいたことが大きいのだ。カフカの「変身」と言えば一種類の翻訳しか知らないが、多和田葉子さんが面白い訳をなさったらしい。
穂﨑萬大さまの記事はいつも興味深く、読書欲をそそられるのです。
※記事はこちら
さて今晩遅くなるかもしれないけど、「カール・マルクス通り」を読めるといいな(もう読みたくなっているw)