見出し画像

笑い方を忘れたわたしの“人生を変えた3つの秘訣”

「笑い方が分からない」

数年前、鏡にうつる自分の顔をみながら思いました。

目はうつろ。血の気がない。
ギッと口角を上げるも、効果なし。

家族が楽しそうにしていても、
なにも感じないし、笑えない。

子どもたちはいつキレるかわからないわたしの顔色をうかがって、寄りつかない。


旦那さんとは毎日取っ組み合いの大喧嘩。
パニックになり、包丁を取り出し、「死んでやるー!」と泣き叫ぶ。

それを見ていた子どもたちは極度のストレスで記憶を消し、
名前を呼んでも反応しない。

一生消えることのない傷を負わせてしまったという罪悪感からわたしは発狂し、自分のからだをえぐるように搔きむしる。

笑う気力もない、生きた心地もしない、そこにいることで精一杯。

わたしの世界は、無味無臭の灰色でした。


そんなわたしの世界は生まれ変わったように一変しました。

会うひとあうひとに

「まいまいがいるだけで場が明るくなる!」
「いてくれるだけで安心する!」
「笑ってくれるから自信が湧く!」

そんなふうに言ってもらえるようになりました。

ぐへ♡


大好きな仲間にかこまれて、
ときめくことをおしごとにして、
クライアントさんの変化に胸を熱くする。

子どもたちとの日常は、くだらないことで笑い合う、やさしいものになりました。

「ママといるとホッとする」と、抱きつきに来てくれます。


「一生分かり合えない」と思っていた旦那さんは
世界一の愛するパートナーに変わりました。

大切なひとと、また心から笑える日が来るなんて。

数年前のわたしが想像もしなかった世界がいまここにあります。


笑うことが簡単じゃないことも
笑えないことがどれだけ辛いかも
大切なひとを幸せにできない無力さも

知っているわたしだからこそ、伝えられることがあると思っています。

”自分も周りもしあわせにする世界がある”


うまく笑えなくなったあなたの
ほんの少しの力になれたらうれしいです。

では、どうぞよろしくお願いいたします。


笑うって当たり前でしょ?


幼いころのわたしは、いたずらと面白いことが大好きなお調子者。


小学生のときは、お笑いTV『ボギャブラ天国』のネプチューンさんのマネをして、男子たちとガハガハとバカ笑いするのが日課!


中学生のときは、箸が転がるだけで笑いがとまらぬ無双状態。
授業中、先生の目を盗んでは、くだらないことをネタに笑い転げる。

いつもクラス中に奇妙な笑い声が轟いていました。

ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃ
ガハガハ笑った学生時代

笑うことを失っていくわたし


そんなわたしがいる一方で、
“笑えないわたし”の存在も少しずつ大きくなっていきました。


・父という絶対的な正義

サラリーマンの傍ら、柔道の師範をしていた父。

自分にも人にも厳しい武士のようなひとでした。

父は男の子がほしかったこともあり、長女のわたしはきびしく育てられました。

まちがったことや反発をすると、
正座させられ、脳天直下のげんこつを食らう。

父に連れられ5歳のころにはじめた柔道では、
練習中に泣こうものなら「泣くのはあとにしろー!」とぶっ飛ばされ、

試合に勝っても「勝ち方がみっともない!」とドゴンと殴られる。

おのずと「父に怒られないこと」「父に認められること」がわたしの選択の軸となり、

わたしにとって父は絶対的な正義でした。

厳しい父のもとで柔道にはげむ日々


・自分を守るための”つくり笑顔”

小、中学生のとき、ある日突然なかまに入れてもらえなくなりました。
無視をされ、陰口をたたかれる。

ほんの少しの期間だったと思うのですが、
そのころのわたしには永遠のように感じました。

「一人ぼっちのかわいそうなやつ」に見られるのが嫌で、何食わぬ顔をしてすごす。

とくにお昼やすみは地獄のようで、
どこにも居場所がなく、いたたまれなさで息が詰まりました。

せっかく他の子が声をかけてくれても「大丈夫!」と、笑ってごまかす。


なんともない。そう自分に言い聞かせて、

痛みを感じないように。

本当のきもちに蓋をするようになりました。

純粋に「たのしい!!」で笑っていたのに、
いつしか“笑うこと“は自分を守るための手段になっていました。



・まともな社会人からの転落

大学卒業後、 大手メーカーに就職が決まり、晴れて社会人になったわたし。


”元気でがんばりやのわたし”が評価され、営業に抜擢されました。


「自由に外を飛び回れて、ワクワクする!!!」

人の顔色と空気をよむことに長けていると思っていたわたしは、
このしごとは天職だと思いました。

ところが、元気と気合だけではうまくいかず。

ひとの顔色を気にしたり、

誰に対してもいい顔をし、

求められる「いつも元気なわたし」の期待に応えようとしすぎたりと。

人と会うとどっと疲れるようになりました。



だんだんと、こころを奮い立てないと人前に出られなくなり、
ついに玄関で足が止まってしまいました。

笑うことを完全に失い、わたしの世界から色が消えた瞬間でした。


・”結婚すれば幸せになれる”という幻想


鬱になったわたしは、自分のことが役に立たない迷惑な存在におもえて、

「普通にもどらないと」と、虚無感とともに生きる日々でした。

しだいに、どこかに救いを求めるかのように
「安心したい」「はやくしあわせになりたい」
という願いが大きくなっていきました。


そのころ、のちに旦那さんとなる彼と出会いました。

結婚して、子どもをつくる”ことが、”しあわせのルート ”だと思っていたわたし。

「一刻も早く、ゆるがない安心を手に入れたい!」と、

婚約もしていないのに式場をおさえ、なかば強引にプロポーズをさせました。(笑)


そしてはじまった結婚生活。
それは描いていた仲睦まじいものとはかけ離れていました。

旦那さんのことばが

わたしを責めているように感じたり、
おまえは必要ないといわれているように聴こえて、パニックになる。

この繰り返しでした。

「なんでふつうにしあわせになれなんだろう」

一緒にいるはずなのに、いつも孤独のなかにいました。


・子どもを愛せないのでは?という恐怖


念願の子どもを授かることができ、欲しかったシアワセに手が届いたはずでした。

しかし現実の子育ては、耐えることの連続で、よろこびとの葛藤の日々でした。

鳴り響くわが子の泣き声に共鳴して、
崩壊寸前のところで保つ日々。

周りをみると、
ほかのママたちは、わが子にやさしくほほ笑んでいる。

わたしはというと、笑いたいのにうまく笑えない。

「なんでわたしだけできないんだろう」

わたしはみんなと同じようにこの子たちを愛せないんじゃないかと怖くなりました。

なんでわたしだけ笑えないんだろう
うまく笑えなくて”つくり笑顔”

・崩壊寸前の家族

「あなたとは一生分かり合えない!!」

そのころは夫婦二人のときにも増して、お互いへの不満がエスカレート。

旦那さんの子どもへの言動が気になり、「それはちがう!」と口を挟む。
そこから正しさのマウント争いに発展し、声を荒らげ、罵り合う。

どこまでも平行線の口論にヒートアップする。

頭が真っ白になり、パニックになり、
包丁を取り出し「それ以上言ったら、死んでやるー!」と発狂する。


そんな恐ろしい光景を見ているわが子は極度のストレスから記憶を消し、

ついさっきのことすら思い出せない。

うつろな目で遠くをみつめたまま。
名前をよんでも反応しない。

「一生消えることのない心の傷を負わせてしまった」と、

取り返しのつかないことをした罪悪感からわたしは正気を失い、

自分のからだを爪でえぐるように引っ掻き、
太ももをはげしくぶん殴る。

来る日も来る日も夜中まで。

毎朝、目が覚めた瞬間からからだが重くぐったりで、服には血がつき、足は紫色のあざだらけ。

自分が生きてるのか、死んでいるのかもわからない、息をするのもやっとでした。

正気を失ったわたしは毎日じぶんを傷つけていた


・キレる自分がゆるせない

特に上の子が2歳半のころは、毎日が怒涛のような日々でした。

仕事を6時にあがり、猛ダッシュでお迎えにいき、ごはんとお風呂を済ませて、9時までに寝かせる!

焦るこちらの意に反して進まない。
イライラがどんどん増してくる!

「早くたべて!」
「早く服着て!」
「早く寝て!」
「早く、早く、早く!!!!」

迫りくる時間と、ぎゃんぎゃん泣きわめく声に気が狂いそうでした。

手をあげることは絶対にしない、と踏みとどまってきましたが、

思うようにならないわが子にイライラが抑えきれず、
腕をひっぱり、玄関の外まで引きずっていったこともありました。


「なんでやさしくできないんだろう」
「なんで笑ってあげられないんだろう」


涙の跡をつけたまま眠るわが子を見て、懺悔する。

「ちゃんと愛してあげることができなくてごめんなさい。」

自分が憎くて仕方がありませんでした。

笑いたくて必死で笑顔をつくる


・子どものためにやっていることが、子どもを追い詰めていた


上の子がごはんを食べるのを横で見ていたときのこと。

わが子がとつぜん宇宙人語(?)をしゃべりだしたんです。
何かと交信でもしているかのように、意味不明なことを話しはじめました。


いきなりのことに動揺するとともに、
ついにわが子の心が壊れてしまったことを悟りました。


思い返すと、そこにいたわたしは子どもとの時間をたのしむどころか、隣で監視していました。

「あなたのためを思って栄養を考えたんだからちゃんと食べて!」と。

そのころ、この子のからだには他にも異変が起きていて、チック*を発症していました。
*異様な頻度でのどを鳴らしたり、まばたきなどする症状

逃げ場もなく母のわたしの「ちゃんと」を飲み込むしかなかったわが子は、
限界を超えたのだと思います。


でも、どうしたらいいか分かりませんでした。
なぜならそのときのわたしは

”子どものためだと本気で思ってがんばっていた”から。

両親から”親は子どもの犠牲になるものだ ”と聞かされていた私は、
ちゃんとそのとおりにしてたんです。


なのにわたしが頑張るほど、わが子は苦しんでいく。

「どうしろっていうの!!?これ以上苦しめないで!!!」

わたしの心も限界を迎えていました。

限界をむかえていたときのノート


わたしの人生を変える出会い


「わたしがいない方が幸せなんじゃないか」
「全部おわりにして楽になりたい」

そんな想いがよぎる日々。

それでも、子どもたちのシアワセだけは諦めることができませんでした。

本を読み、セミナーや講座に参加し、良いと言われることはなんでもやりました。

「よし!うまくいった!」と思っても、
気づいたら“キレるわたし”に逆戻り。

「どうしたらいいか分からない」

そんな先の見えない”正解さがし”のなか、


わたしの運命を大きく変える出会いが訪れました。

恩師であり、恩人である菊地由夏さんとの出会いです。

彼女がわたしに教えてくれたのは
”人生を変える3つの秘訣”でした。


・自分の外側に正解はない

そのときのわたしは、いつも自分の選択に自信がなく、だれかに認められない自分は、欠けている存在で、いつもまだまだ足りない、と自分を責めていました。


上手くいっているひとをうらやんだり、比べて落ち込んだり。
誰かが決めた範囲でしかやらない。
他の人の評価で自分の価値が決まっていました。

そんなときに、由夏さんに教えてもらったこと。

それは、
自分の外側に正解はない”
ということでした。

「じゃあずっとさがしてきたことはなんだったんですか?!」
「これからなにを信じて生きたらいいんですか!?」

それまで握りしめてきたものが崩れ落ちた瞬間でした。


・自分の感覚を信じること

「わたしは何を信じて生きていったらいいんですか!?」


その答えが、”自分の感覚”でした。


そのころ、自分が何が好きかも、なにが喜びかも、尿意すらもわからなくなっていたわたしは、「感じる」といわれても??の状態でした。


それもそのはず。
「自分は間違っている」と否定したり、痛みを感じないようにしたりと、自分の感情に蓋をしてきたからです。



そんな状態だったわたしが、すこしずつ


わたしはなにが心地よくて、
どんなときにときめていて、
なにがいやだなって感じるのか、

じぶんのなかにある”カラダの声を聴く”という練習をしていきました。

すると次第に、気持ちの奥にある、本音に気づけるようになっていきました。

「わたしの中にずっとこたえがあったんだ」
自分のなかに安心感がうまれました。

そして、いままで感じないようにしてきたネガティブな感情も、
実は自分の本音に辿り着くための大切な感覚だったんだと気づいたんです。


・自分の人生は自分で選ぶ


自分の本音が見えても、そこから行動するとなると、どうしても止まってしまう。

たとえば
「本当は旦那さんと仲良くなりたい」という願いが見えても、
いざ話し合いをしようとおもうと、

「こわい。」
「うまく話せるかな」
「また喧嘩になったらどうしよう。」と、

不安がおしよせてきて、
結局なにもできずに一日が終わる。

そんな連続だったわたしが、願いのほうへ足を進めていけるようになったのは

どんなときも、その都度
”自分の声に寄り添うということ”
をしてきたからです。

となりにいる大切な友だちの話を聴くように、
否定することなく、そのままに寄り添う。


すると不思議なことに、
さっきまですごくおおきく見えていた不安やこわさがちいさくなって、
その感情を抱えたまま、自分ができる一歩を踏み出せるようになったんです。


そうやって自分との信頼関係をつみかさねていくことで
「なにがあってもわたしは大丈夫」
と思えるようになりました。

この自己効力感が、今も歩み続けられる原動力になっています。


これらはほんの一部ですが、

由夏さんからもらってきたものは、
まさに”自分の人生を生きる術”であり、
”理想の人生を創っていく生き方”です。

恩人の由夏さんにやっと会えて大号泣


心とからだがかるくなったわたしの変化


・崩壊寸前から世界一のパートナーに


顔を合わせれば喧嘩になり、
「一生分かり合えない!」と思っていた旦那さんは、

心から信頼できる世界一の愛するパートナーになりました。

足を引っ張り合う【敵】から、
同じゴールに向かって共に試行錯誤する【味方】に変わりました。

結婚して十数年なりますが、今が一番愛しています。

一緒に過ごせる時間がとっても嬉しく、
愛されてるなぁとしみじみ感じます。

もちろん、ぶつかるときもありますが、
喧嘩は崩壊へ向かうものでなく、関係性を深めるものになりました。

以前は

「だんなさんが変われば!
「だんなさんがわかってくれないから!」と

いつも相手のせいにしていましたが、

自分の内面をみつめ、カラダの声を聴くことで

自分のごきげんは自分でとれるようになりました。

たとえどんなことがあっても、「わたしたちなら大丈夫」って思います^^

・大切な子どもたちと笑い合える奇跡


毎日のように怒り散らし、朝がくることが怖かった日々。

そんな世界が一変し、
子どもたちとの毎日が楽しいとうれしいで溢れるようになりました。

朝から音楽を聴きながらノリノリに踊るわたし。
子どもたちはそばに寄ってきて、一緒にへんてこダンスをする(笑)

「ママといると安心する」とやさしく抱きつきに来てくれます。

おはようのハグをして、
おかえり~って抱きしめて、
たわいもないことでいっしょに笑って、
わたしのおひざのなかでおしゃべりをする。

そんな当たり前のようなことが、わたしにとっては奇跡で、
とてつもなくうれしいのです。

・好きなことをおしごとにできる喜び


自分を抑えていた会社員時代。

いまでは心からやりたい!と思うおしごとをして、

大好きなクライアントさんに囲まれて、
共に泣き、共にガハガハ笑いながら夢中になっておしごとをしています!


“自然と笑うこと”が増えたせいか、大好きな方からびっくりするようなチャンスを頂いたり、うれしいお知らせが次々に舞い込んでくるようになりました。

そして、心から信頼できて、安心して胸のうちを話せる仲間に恵まれ、

本気で考えて、本気であそんで、ガハガハ笑いあう!

そんな、ずっと描いていた
”好きな人と好きなことをして生きる世界”がここにあります。

めっちゃ幸せ!!!


大好きなクライアントと


“自分も周りも幸せにする”わたしのあたらしい挑戦


ここまでの道のりはけっして楽なものではなく、
何度もなんども投げ出したくなりました。

決して、いまでもよわくて、小心者なわたしを卒業したわけではなくて、

”自分の弱さも認めて生きる”と決めただけなんです。

だからもちろん、
みんなみたいに「もっとうまくできたらいいのに」と自信がもてなくなることもあります。


それでも、自分の本音と向き合い、また歩き出せるのは、
わたしのことを、わたし以上に信じてくれる人がいるからです。


・川原卓巳さんという存在

実は、こうして自分の人生の物語を言葉にしたいと思えたのも
世界一のプロデューサー川原卓巳さんの存在のおかげです。


きっかけは本屋さんでたまたま手にとった
『Be Yourself 自分らしく輝いて人生を変える教科書』という書籍。

入会したオンラインサロン『SENSE-自分らしさ探究室-』で
底抜けにガハガハ笑う卓巳さんをみて、どんどん魅了されていきました。

ことあるごとに「オマエは変だ」と言われて、
※”稀有な才能”と受け取りました(笑)

その度に、自分の力をもっと活かしたい!!と思うようになりました。


卓巳さんの近くにいると、
違いを認め合い、面白がれる仲間に出会えて、

いままで以上に
自然にたくさん笑えるようになれたんです。

それからはおどろくほど、

「まいまいは笑っているだけでいい!」

と周りから言ってもらえるように。

それまでもこの言葉はいろんな方にもらってきましたが、

「わたしが楽しくて笑っていることに何の意味があるの?」

と、心の奥では受け取ることができていませんでした。

そんなわたしを見透かすように、卓巳さんはそのままのわたしを認め、
なんの疑いもなくわたしの可能性を信じてくださいました。

「え?何が難しいの?まいまいなら簡単にできるじゃん」

って。


卓巳さんとの朝ごはんを食べる会にて


そのときに卓巳さんからもらった言葉が

〃自分も周りもしあわせにする笑顔力講座〃

でした。

これを見た瞬間、涙が止まりませんでした。

”笑顔力”
「そっか。わたし、振り切ってここに命を使っていいんだ!」


自分の力を認める。そして本気で挑戦する。


そう心に決めました。


痛みを知り、弱さを認め、
何万回も頭をうってきた今のわたしだからこそ、
伝えられることがある。そう信じています。


自分も周りもしあわせにするぞ!


【自分も周りもしあわせにする笑顔力講座】


2025年、新しい講座をスタートします!

・過去にかなしいことがあってうまく笑えなくなってしまった人
・笑うタイミングが分からず、いつも周りを気にしてしまう人
・もっと自分らしく生きたいひと
・大切な人と笑い合いたいひと
・笑顔いっぱいの人生にしたいひと

わたしといっしょにあなた本来の力と最高の笑顔を取り戻しませんか?✨

LINE公式にてご案内いたしますので
登録してお待ちください☺︎♡

・過去のわたしへ

もしいま数年前の鏡の前にいる“笑うことを失ったわたし”に出会えたとしたら、わたしは彼女に何をつたえるだろう?

まず。

思いっきり抱きしめたいです。
「諦めずに生きてくれてありがとう」って。

そして伝えたいです。
「あなたはもう十分にがんばっているし、がんばる方向を変えるだけでいいんだよ」って。

あなたも周りもしあわせにする世界がある」

そして

「あなたにはその世界を創る力があるよ」と。


----------------------------------------

あとがき


この物語をかくにあたり、過去の自分について事実を聞きたくて、父と母に連絡を入れました。

過去、殴ることでわたしに正しさを教えようとした父ですが、

今回のやりとりの中で「父はずっと私を愛してくれていたんだな」と
改めて感じることができて、涙があふれました。

週末になると遊んでくれたのも、
勉強も柔道も私のがんばりたい気持ちを汲んで、練習に付き合ってくれたのも父でした。
そして今でも「おまえたち娘が一番」と言っています。


厳しかったのも、彼はそれが本当にわたしのためだと信じていたからです。
ただ、それが子どものわたしが望むカタチではなかった。

それに気づいたとき、父も、わたし自身も、ただの不器用で未熟な人間で、

”それ以外の選択肢を知らなかったし、頑張る方向が違っただけ”

だったんだと改めて思いました。

と同時に

”過去がたとえどんなものでも、わたしたちには変える力がある”

ということも知ることができました。


その力はこれを読んでくださっているあなたの中にも必ずあります。


この物語が、必要な人に届きますように。

わたしの人生に関わってくださった全ての方へ感謝の気持ちを込めて。



笑顔テロリスト
まいまい


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集