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4月、電話帳のなかで、有効な番号。

出会いと別れの季節と言われる春。
私はこの季節が苦手だ。

折角紡いできた関係性の中から引き剥がされ、
ここがあなたの新天地よと、
さも喜ぶべきことかのように放り込まれる。
その場所は自分で選べないことも往々にして、ある。

喜ばなくては、溌剌としていなくては、
と思ってしまうものだから、疲れるし寂しい。

そういえば私は、
無性に人の声を聞きたい話がしたい、と思ったとき、
スマホの連絡先を一通りスクロールして閉じる、
あの瞬間がとても怖い。

仲の良い友達は?と問われれば答えられるのに、
それは、どうしようもない夜に電話が出来る相手の数と
必ずしもイコールではない。

こんなときはスマホを捨ててしまいたくなる、ね。
人生でもっとも孤独を感じる瞬間TOP10入りです。
(1位じゃないんかいという突っ込み、鋭い痛い)

だから私は、好きな人から電話がかかってくる瞬間が、
とてもとても愛おしい。

電話をすることのハードルは人それぞれで、
何の気無しに、電話をかけられる人なのかもしれない。
それでも私は、その着信にとても嬉しくなる。

電話をしてくれた人にしか、
電話をすることができない性質だから。

電話をくれた好きな人の番号は、
私の電話帳の中で、有効な番号に変わる。
生きている番号、いまそのときに掛けられる番号。

これはとても、幸せなことだ。

“自分がされて嫌なことは、人にもしてはいけません。
自分がされて嬉しいことは、人に積極的にしなさい。”

こう教わって育ったはずなのだけど、
後者は、成人した今も、中々身体に染みついていない。

だって人によってされて嬉しいことは違うじゃない。
私の嬉しいは、あの人の迷惑かもしれない。
好きな気持ちが大きければ大きいほど、考えてしまう。

でも、だからこそ、後者を実行できる、
思いやりと思い切りをもった人が好きだ。

違うかもしれない、を考えすぎると、
どうしたって動きが鈍くなる。
それは、大切な人の一助になれる瞬間を、
逃しやすくなるということなのだと、最近思う。

いいかもと思ったらやってみる。
そしてちゃんと、その反応もみる。
これが正しいでしょうの気持ちじゃなく、
違ったらごめんね、と思いながら。

相手がいると、行動は突然ハードルが上がるけど、
私もあの人の、有効な電話番号になりたい。

今日もちょっとだけ、がんばるぞー。

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