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術後5ヵ月、これからのこと

こんばんは。乳がん闘病中のまいです。


ここ2ヶ月、いろいろあったのです。

なかなか書く気にならず。

一番大事な部分を考えるのは避けているような気がするけれど、前に進むために、今の自分に無理ない範囲で進んでいこうと思ってます。



まず、本業のこと。

私、本業は大学院生なのですが、この本業にまず身が入らんの。

大学院生って、授業を受ける立場ではなく、自分の研究を自ら進めていく立場なんね。

しかも、私がやりたいと思っているのは舞踊の研究。

踊りが社会の中でどんな役割を果たすことができるんか。

そういう研究をやりたいと思って社会人から大学院生になったんやけど。

先行研究(私の前に同じような研究をしている人)がなくて。

ちょうど行き詰ってるところだったのです。


ゼロから何かを生み出すのってものすごくエネルギーが必要。


ちょうど、昨年1年間掛けて修士論文の一部を投稿論文として世の中に出したところやったん。

修士課程に入学してから3年間、走り続けてきとったから。

一段落ついて、ちょっと気が抜けていたタイミングで乳がんになったん。


今年は研究資金の申請も何一つできんかったし。

そもそも研究もこの半年で何一つ進んどらん。


そんな中で10月から大学のゼミに復帰するのは気が重いん。

周りは半年間、着実に研究を進めてとる。

そんな中におったら、研究を進められんかった半年間のことが如実に浮き彫りになってきそうで。

怖かった。



ちょうどコロナ禍の影響で大学がオンライン授業になっているのも幸いし、今もゼミには顔を出しとりません。

自分の研究の個別指導、日程だけは決まっているから、何か始めなあかんのやけど。

形にならんくても始めなあかんのやけど。

そういう焦りはあるんやけど、何をやったらえぇんか誰かが教えてくれるわけでもなしに。

自分で考える気力は、まだわいてこーへんの。



今、毎日を心穏やかに過ごせているのは、いい按排に病気のことを忘れられとるけん。

やるべきことに没頭し、深く考えることを避けとるから。



手術からやっと5ヵ月。

まだ傷口周りは痺れてとる。先月よりましになったけれど。

気温が下がってくると、ぴりぴり痺れた感じが傷口を思い出させる。



手術後の自分の身体を受け入れる為に。

これをきっかけに人生を前向きに捉えなおすために。


ここ2ヶ月、今まで全く力を注いでこなかったことに必死になっとりました。




彼氏をつくりました。




今の彼とどうなるかは分からないけれど。

病気になって初めて、隣にいてくれるパートナーが人生において必要だと実感したん。



乳がんだと告知を受けた時。

手術のこととか、一人で決めなあかんかった時。

卵子採卵後、一人、みじめな気持ちで病院のベッドで横になっとった時。。


隣に誰かいてくれたらどれだけ心強いだろうと。

何度思ったことか。



右胸を失った私の身体を、誰かに認めてもらいたいという気持ちもあった。

女性として、ね。



簡単なことではなかったんやけど。

まだ彼に病気のこと、全部は話せとらんし、それを話すことを考えたらめっちゃ気が重いんやけど。



そういう過程一つ一つが、病気を肯定していく過程になるんやろ。

そう、思わんと、やっとれん。



既婚者の場合と、未婚者の場合できっと違うし、

子どもがおる人とおらん人でもきっと違う。

年齢によっても違う。


女性が胸を失うということ。


私はまだ女性として愛されたいし、

できることなら子どもも産みたい。難しいかもしれんけど。



これまでは、自分のやりたいことが一番優先やった。

劇団を続けること。

舞台に立つこと。

踊りの研究をすること。



ここで初めて、女性としての自分の人生を考えたときに、パートナーが欲しいなと心底思ったわけです。

今の彼がそうなるかは分からんけど。

そういう未来に向けて、一歩踏み出せたということ。



あんまり、後先考えとったら、こういうんて踏み出せんしな(笑)



あえて私がかなりプライベートな話をここに書いているのは。

この先、同じような境遇の人がいた時に、「大丈夫」って言いたいから。



半年前、乳がん告知を受けた時は、大丈夫だって一切思えんかった。

そもそも恋愛に積極的な方でもなかったので、乳がんというハンデが増えて、その上で恋愛とか結婚に対して前向きになれるなんて、絶対そんなことないって思っとった。

友人から、「大丈夫だよ」って言われても、何が大丈夫なんか、一切分からんかった。



今だって、別に大丈夫なわけじゃない。



半年前の私と今の私が違うとするなら。

愛情とか友情とか、人の想いにはいろんな形があるのだなぁということが分かったということ。

だったら、欠けた身体の私のことを愛してくれる人も、どこかにいるのかもしれない。




ここ2ヶ月、いろいろあったのです。

傷ついたし泣いたし、頑張るの止めようと思った瞬間もあったけれど。



諦めるのが嫌だった。

負けを認めるようで。

やっぱり無理だって。



私でもできるって。

欠けてても。ハンデがあっても。

幸せになれるって。

証明したい。



どのタイミングで相手に自分の病気のことをカミングアウトするか。

すんごい悩んだん。

私は早い段階で言って楽になりたかったんやけど、

友人から付き合うまでは言わない方がいいんじゃない?と言われたんで。

付き合うことになるまで、言いませんでした。

というか、言う必要が生じた段階で、言ったん(笑)

普通に生活しとるだけでは、分からんもんなんよね。

だから、今すぐ妊娠できないこととかはまだ話していない。別に結婚とか考えてるわけじゃないから、そういう話を切り出すのって重いなぁと思うん。でもお互い30越えてたら、どっかでそういう話せなあかんなって思っとる。

そういう、普通やったら考えんでもいいことに気を遣わなあかんってこと。

たらればはないから。

もう、そういうもんなんじゃって割り切って、生きてくしかないんよね。




今は、研究のことよりも。

女としてどう生きていくのかってことに向き合っていたい。




だって。

10年後でも研究はできるけど。

子どもを産むことはできないから。

女性にはタイムリミットがあるってことを痛感したから。



35歳。

ほんまギリギリか、ちょいアウトな年齢。

最終的にどうってことはあんまり気にしない。

選択肢があることが重要で。

選べる状態にあるかどうかが重要で。

そこからどう選ぶのかは、私次第。



私のこれからを決めるのは、私。


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