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「まい」 わたしのなまえの由来

こんにちは。乳がん闘病中のまいです。

noteのお題に「名前の由来」ってゆーんがあったんで、名前にかけて自分の話をしてみようかな。


私の名前、戸籍上の表記は「まい」

平仮名です。

たまに、ご丁寧に漢字表記してくださる方がいるのですが(笑)

正しくは平仮名。

でも、由来は「舞」なので、あながち間違いではない。

私もめんどいんでいちいち訂正しません。

書くの大変やし、わざわざ変換せんでもえぇのにって思っとるけどな(≧∀≦)


うちは二人兄弟で。兄が一人おります。

兄貴は父親の名前を一字継いでるんで、二番目の女の子は母親にちなんだ名前になったわけですよ。

私の母、大学の体育教師で専攻が「舞踊」。

若い頃からモダンダンスをずっとやっとって、大学もダンス専攻。本人も30代まで学生とダンス作品を毎年上演しとったんやってさ~。

母が勤めとった時、大学の研究室には母の踊ってる頃の写真が大きく刷られて部屋に飾られてましたよ。私は一度も母親が舞台で踊ってるのは見たことないんやけどね。


そんなわけで、2番目の女の子は「舞」と名付けかったところなのですが。


画数が不吉やったんやって!漢字やと!

苗字との相性で!!


今なら分かるけど、35年も前にそんなことまで考えて名前付けてくれたんやなぁと(^^;

平仮名にすると、母親と同じ画数になるからえぇんでないの?ってわけで私の名前は「まい」になりました。



こんな名前を付けられたのに。

私、大人になるまでちゃんとダンスを習ったことはなかったんですよ。


小さい頃から舞台とかもよぅ連れて行ってもろたし、ほんまはダンス習いたかったんよ。

小学校にあがって、同級生のバレエの発表会を観に行き。可愛い衣装に身を包んで踊る彼女たちがどれほどうらやましかったことか。

うち帰って、「私もバレエやりたい!」って言いますわな、もちろん。

母は「そのうちね」と言って、体験や見学にすら連れて行ってもらったことはありませんでした。

徳島やから阿波踊りも盛ん。周りにはちびっこ連に入ってる子もおるし、私も毎年観に行くから、踊りたいって言ってたんやけど。

これも、「そのうちね」と言って、一度も習わせてもらうことはありませんでした。


母親の言い分からすると、いくつか理由があるん。

まず、うちは両親共働き。

平日の夕方に習い事の送り迎えなんてできんからさぁ。私がやってた習い事は自分で行ける距離のところか、母親と一緒に習うものばかり。

バレエなんてやり始めたら、週2,3で平日夕方行き帰りを何とかせなあかん。阿波踊りなんて、7月になったら週4とか5の練習になるからね。

とてもじゃないけど送り迎えできんわぁっていうんが一つ。

もう一つは。

なまじ、母親がダンスやってたんで、当時の徳島のバレエ事情がよく分かっていたため。。。今は違うけど、当時はちゃんと任せられるような先生が徳島にはほとんどおらんかったらしいん。

阿波踊りもね、内情が分かってたから練習がきついん知っとったんやろ。

ほんまに「そのうち」と思ってる間に、時間が経ってしもたんやって(笑)

こっちの気持ちはどーなるんよってな!


そんなこんなで、私はずーーーっと踊りたい欲求を抱えたまま、大人になったわけです。

で、大学時代にたまたまダンスのワークショップのお知らせを見つけて。

21歳の時に初めて「ダンス」というものを習いました。


ほんまは、ミュージカルとかで踊られるようなジャズとかシアターを習いたかったんやけど、時間の都合が合わんかったから。

最初に習ったダンスは「ロッキング」。

分かる人にはそのギャップが分かるかな(笑)


いやぁ、今思い出しても、踊り初めのころの私はなかなかでしたね~。

形は決まらない。動きは硬い。振り付けは覚えられない。ひどいもんですゎ。


それでも何とか先生みたいに踊れるようになりたくて。

帰りの地下鉄の中で振付を一生懸命ノートに書き写して、家に帰って練習してましたゎ。

翌週までに少しでも踊れるようになりたくて。



「ダンス」ってね。

子どもの頃から習ってたとか、経験がある一部の人のものやと思っとったんですよ。若い頃は。

大人になってから始めても、小さい頃からやってる人には絶対かなわんってずっと思ってた。


それでも。

「踊りたい」って気持ちの方が勝ってたんね。


いくつから始めても踊れるっていうんを証明したくて、ずっと踊りはやめずに続けてる。

年を取ったら年を取ったなりの踊りがあるって今は分かるから。

何歳からでも始められる。って分かったから。



その後、大学在学中に私はある地方の劇団に入り、就職もしないでフリーターしながら劇団を10年続けるんです。

ミュージカルの劇団で。歌、踊り、お芝居の三つを練習せなあかんかった。

その中では、踊りが一番好きやった。踊りだけは、どんなにできなくても、上手になりたくてひたすら練習した。

そういえば、劇団に入りたての頃、夜のガソリンスタンドでガラスに姿を映しながら練習したこともある。

ダンススタジオに通う余裕は一切なかったから。教えられた基礎練習をひたすら自分で繰り返した。意外と好きなんね。地味な基礎練が(笑)


だから、私のダンスの基礎はストリートダンス、ミュージカル系統なんです。



劇団を辞めた後。「踊り」というものを学術的に研究したくて、大学院に進学しました。それに合わせて上京。


そのタイミングで音楽の「セッション」というものに出会った。

「セッション」って分かりますか?

音楽やっとらんとなかなか耳慣れん言葉。

バンドを組む、とはまた違う、音楽の楽しみ方。

その日、その時、集まった人たち複数で、練習もなしにいきなり曲を合わせる。もちろん、個別にみんな練習はしてし知ってる曲の場合が多いけどね。初対面の人たちもいるわけですよ。

同じ曲であっても、演者が変われば演奏が変わる。

それがセッションの面白さ。

定番曲はあるけど、メンバーが一人でも変われば、曲の流れも雰囲気も、がらっと変わる。


ミュージシャンの友人が増えて、セッションに出入りするようになり、なじみのお店では踊っても文句を言われんようになったんで(笑)セッションで踊るんがここ数年のダンスの楽しみ方になったわけです。


基本、即興。決まった動きはなく、全部自由に好き勝手に踊りまくる。3割くらいは頭使ってるけど、ほとんど瞬発的に曲に反応して踊り続ける。最初は難しかったけど、慣れてくもんですね。

即興で踊るっていうんも、結構訓練が必要でね。そればっか練習しとったから、私は振り付け覚えるより即興の方が得意(笑)即興の練習は一人でもできるんやもん。


ありがたいご縁があり、バンドを組ませていただく機会に恵まれました。

見出しの写真がそうですね。見出しで顔出しはちょっと気が引けたので(笑)歌って踊ってる時はこんな感じ↓

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動き激しすぎて、下半身の袴が着付けた時より10センチくらい下にずり落ちてるけど(^^;アップでみたらちょっと悔しいなぁ、こういうん。

ちなみに、写真の衣装、片袖の上着は自分で作りました(^_^)v

こんなん、自分で作らんかったら手に入らんからねぇ。バンドを始めたおかげで、衣装を自分でつくるようになりました。


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↑これは一式全部手作り(*^ω^)

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でもこの中に着てる衣装は右脇が空いてるノースリーブだから、もう着れんかな~~。


私のハンドメイド精神はこーいうところから芽生えたわけです。

好きな布買って、好きな形で作って。ハンドメイドだからできること。



乳がんって分かってから踊るのを一切やめて。

早3ヵ月。

こんなに踊らんかったんは、膝に怪我してリハビリしてた時期くらい。

それまでは、いつでも踊れるように身体を作ってたんやけど。


東京に戻ったら、まず、「踊りたい」って意欲を戻すために。

セッションに行きたいなぁ。お店のセッションもいいし、いつもの仲間たちと野外セッションしたい。しばりのない、自由な中で、まずは身体が動く範囲から、軽く身体を動かしていきたい。


名前に恥じん「舞」が見せられるようになるまで、しばらく時間がかかりそう。


痛みが少しずつ少なくなってきて、やっと身体を動かすことに気持ちが前向きになってきた。

体力なさすぎて、最初は自分にがっかりするやろうけど(笑)

始めてみんことには、その先はないしね。

紹介状をゲットしたし、東京に戻る準備を始めよう。

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