僕は死なない子育てをする
遠藤光太
とても大変につよい人だなと思った。
最終章に死なないとはっきり書かれていて、障害がわかったことで、だからこそ生きられる様を目の当たりにした。障害がわかるということは自分が、やっと自分になれたということなのか。
私も思い当たる節があるがあるし(休職、聴覚過敏、自殺したかった気持ち)、自分も障害があるのでは、とここ数年思っていた節がある。
だけど名付けることに未だに後ろめたい気持ちもあり、判断を仰ぐことはしていない。
それは私は、名前をつけなくても一応いま生きているということで、死なないから。かな。
死なないってすごくつよい決断で、相当の意思がないと、死なない、とは言えないんじゃないかと思う。
私は未だにちょっとしにたいけど、怖くて死ねないから生きてる。
だから、はっきり堂々と死なない、と言えることはとてもつよい意思だと思う。
子どもに育てられているということは本当に実感する。私は、自分が母親に受けた嫌な仕打ちを自分の子にしないよう、同じ母にならないよう、ものすごく母親のことを意識しているけど、子どもは違う人だから、というのをとても実感する。子どもは私じゃないから、違うよ、と教えてくれる。気付かされる。同じになるかもという恐怖から引き剥がしてくれる。
生きることを助けてくれる。
最後はありきたりな、生きようという結論に達していて(当たり前なんだけど。生きてなければ書けないから)、途中の苦しみをもっともっと詳しく見たかったといういやらしい気持ちにもなったけど、ありきたりに達したことが、これからも生きていくというつよい気持ちを表現しているのかなと思った。