読書レビュー:政治「マキァヴェッリー君主論をよむー」
政治学の基礎・帝王学のバイブルとして有名な君主論を、マキァヴェッリが生きた時代背景とともに読み解く新しい解釈本です。
君主論とは
経営学や帝王学を学んだ人には誰でも、自己の利益のために権謀術数を図ることを是とするマキァヴェッリズムを読んだことはあるでしょう。
権力者による悪事を肯定する論文として世に名高く、後世の社会学での伝わり方は以下の記事にも記述しています。
キケロ『義務論』
彼以前の各研究者が提唱してきた君主論は、実は真逆のことを言っています。
例えば有名な古代のキケロの義務論。
特にキケロは、偽善的行為を悪としております。嘘は駄目、利己的にならないなど一見マキャヴェリとは違う視点です。
中世『君主の鑑』
もう一つ、中世でも君主の人格が有徳であることを勧めています。
アリストテレスの『政治学』の主張を踏襲しており、トマスは以降の政治学者に大きく影響を与えたとされます。
君主論は誰のため?
このように君主も善人であれと説く先人がいながら、マキァヴェッリはなぜ途方もなく真逆の結論なのか?
ここで著者は、彼が当時置かれた立ち位置を明確にします。
君主論とは、全人類の対象でなく元々当時のメディチ家に向けて書かれたとされています。(事実彼は最終章でメディチ家が指導者となるべきと主張し、ロレンツォ・デ・メディチに献呈しています)。
多少の独自性をアピールする背景はあったにせよ、当時20歳のロレンツォに政治は甘くないと、実践的な考察を示したのではないでしょうか。
そう考えると、何となくリヴァイアサンを書いたホッブスと類似していないでしょうか?
彼も当時は求職中で、当時王政の対抗勢力であるローマ教皇への牽制を交えながら、主権者であった王政に阿る(媚びている)ような書き方をしています。
ここで著者は面白い論点を提示します。それは、
彼が提唱する権力者たる行為は、本当に特定の状況でしか推奨されていないということ。
ここで彼が考える前提条件を見ていきましょう。
国家の分類
彼は、すべての国家は共和国か君主国のいずれかで、さらに細分化していきます。詳しくは本の図を御覧ください。
彼はおそらく、完全に新しい君主国だった場合の権力の獲得方法を、君主自らの軍隊に基づいた場合と、他者の軍隊に依拠した場合について議論を展開しています。
つまり、それ以外の方法で君主になった場合は、彼の理論は当てはまらないことになります。
所感
マキァヴェッリ自身、一般的な状況を想定した場合には有徳な行為をする方が合理的だと認識しており、読者である当時の当時のメディチ家君主に対しての献呈だったからこそここまで厳しい内容になったという背景が分かります。そもそも君主論というタイトルは後世が名付けたもので、彼の意図とは予想もせえず現代まで引き継がれてしまったのかもしれません。
また、著者も不思議がる「ヴィルトゥ」という単語は君主論に至るところで出てきます。おそらく英語のVirtue(美徳)の語源でしょうが、文脈では徳以外にも力量・軍事力と代替でき、広範囲な意味を持ちます。
あの君主論がそこまで悪いことは言っていなかった、と意外な結果を知ることができるので、政治学に興味ある方はぜひご覧ください。