5.一つである
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世界の仕組みを知って楽に生きるためのメッセージを
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音声のみなので、
ラジオのような感じで聞き流してください。
YouTubeにアップするにあたって、
少し体系的にまとめています。
このnoteは、文字起こししたものです。
こんにちは、
世界の仕組みを知って楽に生きる
メッセージをお伝えしてます、
maikoです。
今日は、
存在の本質は1つである、
つまり、全部が自分であるという話を
したいと思いますが、
本題に入る前に、
世界は自分の投影
という話をしたいと思います。
ここでいう自分とは、
この世界の中で、
個別の存在として生きていると思っている自分、
自分の意識のことです。
そして、世界とは、
自分が見たり感じている目の前の現実のことです。
私たちの普段の感覚では、
この世界は、
確固たる実体、
つまり時間と空間があり、
その中に自然や生物や人工物などが、
存在しているように感じます。
でも本当は、
境界線のないエネルギーのようなものしかなく、
私たちが目にしているような、
物質的なものの実体は何もありません。
実在しているのは、
存在エネルギーといってもいいし、
生命エネルギーといってもいいような、
ものです。
宇宙論では、
並行宇宙という、
全ての空間・時間・物質・エネルギーの
可能性のある、ありとあらゆるパターンが
無限にある多元宇宙が
宇宙の全体像だと言われています。
私たちに身近な宇宙の物理学でも、
光や音や物質のように見えるものも、
実際は電磁波や素粒子という波動であり、
エネルギーであることはすでに常識ですが、
普段私たちは、
これを感覚的に認識していません。
なぜなら、
私たちの意識は、
この世界のエネルギーの波動を、
体という受信機能を使って、
脳の中で映像・音・臭い・味・触感+感情という形で、
出力されたものを認識しているからです。
例えば、
パソコンのスクリーンに映った映像も、
実は1と0の組み合わせの電気信号が、
映像として液晶画面に出力されたものであって、
実際にそこに実物がある訳ではありません。
それと同じことです。
このことから、
この世界は自分の意識の投影である、
というのは、
スピリチュアル的な意味心理学的な意味だけでなく、
物理的な意味でも、身体的な意味でも、
そうだということが分かると思います。
例えば、
霊感がある人には幽霊が見えたり、
麻薬を使う人には幻覚が見えたりします。
他の大多数の人には見えないものを、
幽霊や幻覚と言ったりしますが、
見える人の世界には、
確実にそれらがいますし、
その人にとっては、
幽霊も幻覚も真実となります。
音も、
動物の種類によって、
例え同じ人間でも年齢によって、
聞こえる周波数が違います。
聞こえる人の世界には、
確実にその音があるし、
聞こえない人にとっては、
その音は鳴っておらず、
それはないということです。
このように、
私たちの世界は、
誰にとっても存在すると言える
確固たる実体がある訳ではありません。
みんな、
他の人も同じ世界に生きていると
思っていますが、
それぞれ別の世界を
見て、聞いて、感じています。
皆が現実だと思っている世界は、
1人1人が勝手に思い描いている幻影であるし、
1人1人が勝手に見ている夢のようです。
このように、
私たちが同じエネルギーの中にあって、
それぞれ見えている世界が違うのは、
視点が違うからですが、
違いはそれだけではありません。
性能の違い、
つまり焦点距離も違うし、
熱や光の感度も違うからです。
接写カメラと望遠カメラでは、
何にフォーカスするのかが違います。
暗視カメラとか熱感知カメラでは、
何に反応するのかが違います。
同じ時間と場所、
同じ方向を向いていても、
全然違うものを見ています。
それなのに、
私たちはそれらを現実と呼び、
共通の認識の確固たる世界という感覚でいます。
さらに、
全てのエネルギーがあり、
それらは1つなので、
過去や未来、
現在でも異なる場所、
空想の世界、
まあ、全てが空想っちゃ空想なんですけど、
それらに意識が向けられることによって、
精度の差はあれど、
その状況を映像化することが可能です。
そして、私たちは、
カメラによって出力された映像を
認識しているので、
自分はカメラだと勘違いして、
撮りたいものだけ撮ろうと
コントロールしようとするのですが、
自由に動ける訳でもなく、
設定や撮りたいものを選択できる訳ではないので、
もはやそれを、
私たちは自分だとか、自分の視点だとか
言えない、ですよね。
ただ、自分の担当のカメラで出力された映像を、
一方的に見せられるだけです。
もちろん、音や触感などのついた、
6D映像ですから、
私たちが考える2D映像より
とてもリアルですけどね(笑)
もし自分と呼べるものがあるとすれば、
それはこの全体のエネルギーのことであり、
このカメラも、
その一部分、一側面という意味では、
それはまた自分と言えないこともありません。
そして、カメラ自体も、
ただのエネルギーなので、
その状態は刻一刻と変化し、
いつかは解体され、
何も映し出さなくなります。
ちなみに、
自分は何を映し出すのか、
カメラを操作しているのだ、
という勘違いを解くのは、
実はそんなに難しくありません。
コントロールしようとすることを
やめてみることです。
カメラは自動ですから、
ちゃんと映像は流れてきます。
何もしない、と決めても、
何か考え事は起きるし、
何もしないと決めたから寝ようと思えば、
横になることが起きるし、
多分、24時間も寝たら目が覚めちゃうし、
排泄したくなったらトイレに行くことが起きるし、
お腹が空いたら、食料調達して食べることが起きるし、
暇になったら、スマホや本を手にとることが起きるし、
絶対に何もしないではいられないはずです。
勝手に映像は続いていく、
これこそが、
自分がカメラを操作していた訳ではなかった、
という決定的証拠です。
とにかく、
受け身で、
見せられている映像を、
見ていればいいし、
見ることしかできないし、
それはある意味、楽だと
私は思っています。
しかも、
コントロールできる自分
という存在はいないと知り、
もう何もかも手放しで、
ただ、見せられる映像を見ているとですね、
本当にカメラは正確だなあ、
ってことが分かるんですよ。
本当に、
フォーカスしているものが
映像化されるし、
反応する感度があるものが、
言い換えれば、
興味があるものが
映像化されます。
本当にどストレートにです。
そこに引き寄せだとか、
潜在意識だとか、
そんな複雑な理屈はありません。
映っているものを見て、
ああ、このカメラは、
これにフォーカスしているのか、
これに興味があるのか、
って感じです。
ここに全ての可能性というエネルギーがあるのに、
わざわざそれを映し出してるんだなあって。
本当、わざわざなぜこれなん?
って笑っちゃいますよ。
でもね、
この投影の仕組みを、カラクリを、
見破ると本当に楽です。
まず、1つ目に、
死ぬことの恐怖がなくなります。
死ぬということは、
この映像が消えるだけで、
他は何も変わらなない、
もともと、今だって、
エネルギーしかなかったんだ、
ということが分かるからです。
念のために言っておきますが、
もちろん、
恐怖がなくなるからと言って、
生き延びようとするエネルギーが
なくなることはないです。
2つ目に、
何が起きても、
受け入れることができます。
それは、
どんなことでも起こりうると知っているし、
どのようにも変化すると知っているし、
本当は完全完璧だと知っているからです。
この自分の世界に起きていることは、
このエネルギー全体に全てがあるのに、
わざわざ、視点を1つに絞って、
わざわざ、1つの限定的な側面を
映像化・物質化しているにすぎません。
それらは虚構です。
実体としては、
それらの虚構に全く関係なく、
どんな時も完璧・完全なるエネルギー
があるだけです。
このように、
この世界は自分の意識の投影、
という世界の仕組みを知ると、
逆に、投影の源である、
実在である存在に気づくことになり、
本当にあるのは、全存在というエネルギー
ということが分かります。
そして、
私たちも私たちの見ている世界も、
一部分、一側面とはいえ、
全体のエネルギーであり、
全ては自分、全ては1つ、
自分が自分を見ている、
と言っていいと思います。
ここから、
存在の本質は1つである
ということについて、
話をしていきたいと思います。
ここからは、私の話の共有です。
この投影の仕組みの情報が、
私のカメラにインストールされた時、
映し出すものも、変わってきた、
そういう話です。
ここでは、自分と書いていますが、
どちらかというと、
映像に出てくる私役の人、
そういう感じです。
ポイントは3つあります。
1つ目は、
他の人のためにやること、
自分のためにやることに、
違いがなくなります。
他人のために何かをやる時、
自分が損をしているという思いが
なくなります。
相手やみんなのために、
本当に自分のためにやるような感覚で、
できるようになります。
こんなこと言うと、
なんかいい人ぶってるみたいですけど、
自然とそうなります。
今までは、例えば、
地域や学校の役割で何かやるとしても、
それは結果的に自分に返ってくる、
という計算というか算段だったり、
よく思われたい、
無責任だと思われたくない、
という自分を守るためだったり
そういうものがあって、
やっていたと思うんです。
だから、自分だけが他の人より負担が多かったり、
思ったより感謝されなかったりすると、
損した気分になったりしました。
でも、それとは違って、
心の奥底で、
相手は自分だと知っているって感じで、
自然と自分のため、
自分のことをやるみたいに、
やるようになっていました。
そして、相手によく思われたいとか、
そういうためでもないので、
いい人を装うために特に無理することもなくなり、
無理のない範囲のことをやるようになりました。
2つ目は、
他人や社会がやっていることも、
自分がやっていること
のようにととらえます。
例えば、
私の場合は、
夫が息子に対して注意しているのを見て、
そんなことまで注意しなくてもいいのに、
と思うことがよくありました。
でも、今は、
夫が息子に対して注意したら、
あ、私が息子に注意して、
直したい、変えたいと思っているんだな、
と思うようになりました。
そして、
その経験を何度もして、
自分の中で、
息子はそのままでいい、
注意されて矯正されなくても、
自分で失敗して学べばいい、
と心の底から思うことができたら、
夫が息子に対して注意しなくなりました。
いくら言葉で言っても、
議論しても変わらなかったのに、
自分が変われば、相手が変わります。
なぜなら、相手は自分だからです。
あ、でも、これは、
じゃあ、自分で心の底から思えば変わるんだ、
と思っても、自分の心を変えようとしても、
コントロールできないですよ。
さっきも言った通り、自分と言っていて、
本当は自分ではなく、ただの役ですから。
心の底から思えるようになるというのは、
必要なことが全部起きて、
自然に起きてくるのを待つだけです。
3つ目は、
他人や社会に何かを期待することが、
なくなりました。
それらは、結局全部自分なのだから、
自分の中にそれがあれば、
自然と他人や社会の中に現れてくるからです。
例えば情報。
どんな情報に触れても、
そこから何を感じ、何を取り入れるかは、
全て自分側、受信側で決まっています。
レセプターがない限り、
受け取れない、ということは、
そして受け取る時には、
すでにもうレセプターができるくらい、
それを知っているということです。
もう知りたい答えは分かっていて、
その答えに合致するものを探しているに
過ぎません。
それなら、
自分の中に直接答えを見つければいい、
ということです。
本やYouTubeをあさらなくても、
自分に問いかけていれば、
自分の日常生活を送っていく中で、
必ず答えも見つかります。
例えば、平和や充実感や健康。
社会が平和であってほしい、
子どもが充実した人生を送ってほしい、
夫が健康であってほしい、
それらも、
全て自分が自分に足りないと思っているから、
そのように思うのだということが、
分かりました。
まず自分が平和であり、
ます自分が充実しており、
ます自分が健康であれば、
相手に対して、
それが足りない、
だからなんとかしてほしい、
という思いがなくなります。
それはそのままで、
ちゃんと起きるべきことが起きている、
と思えるようになります。
さて、今回は、
存在の本質は、
全ては1つ、全ては自分、
という話をしました。
いかがでしたか。
いつも言っていますが、
このように考えてください、
とお伝えしたかった訳ではありません。
自然とこのようになりました、
そういう話です。
これからも、
世界の仕組みを知って真に生きるメッセージを
お伝えしていきますので、
よければチャンネル登録して、
聞いてみてくださいね。