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バレエ作品「ドン・キホーテ」比較回想①

東京バレエ団と新国立劇場バレエ団の「ドン・キホーテ」を両方見ることができたわけであるし、ここで両方を比較した回想を載せておこうと思う。

今回の東京バレエ団の「ドン・キホーテ」は「ワシーリエフ版」である。ウラジーミル・ワシーリエフは30年以上にわたってボリショイ・バレエのトップダンサーとして活躍し後に振付家、ディレクターとして活動した人物である。彼は現在80歳で存命であるそうだ。彼の手によって再構成され新しく命を吹き込まれた作品「ドン・キホーテ」は全2幕構成となり、大変ドラマチックなバージョンとなっている。ちなみに、筆者はこちらのワシーリエフ版を1度目見て号泣し、違うキャストでもう一度見て大号泣した。

筆者が感動したポイントはまず、伏線があること、である。

幕が開けると大抵のバージョンは妄想に浸る老人とパンを盗んだ小男が舞台に登場するが、ワシーリエフ版は、床屋のバジルがカミソリを持って、ドン・キホーテのひげの手入れをし、キトリがバジルの手伝いをしているのである。ここでまず一つ伏線が張られる。第2幕においてバジルが狂言自殺を図るが、そこで使っている刃物は自分の商売道具なのである。決して出所がよくわからない突然の小道具ではないのである。それがポイントだ。そして、既にプロローグで物語の主人公とドン・キホーテは顔見知りの関係なのである。ドン・キホーテはここでキトリをドゥルシネアと勘違いしている。筆者はここで、キトリとバジルの存在の小ささに気がついた。第3幕において、この2人は堂々と立ち居振る舞い、大変品格のある踊りをする。圧倒的オーラで劇場を支配するが、実は彼らはそこらへんの町娘と床屋なのである。彼らの本質、というか本業がここで示されている。それがあるからこそ、第3幕のあのオーラは表現の振り幅の大きさがより広く感じられるのである。ここも号泣要因となる。

次に、メルセデスとエスパーダの存在があることで、この物語において同時並行する2つの恋愛模様を生み出すことになる。このバージョンにおいてのメルセデスは、結婚など目もくれない自由奔放な生き方を望む女らしい。エスパーダのキレキレな踊り=巧みな口説きにメルセデスがどのように答える=踊るのかを見るのが大変興味深い。キトリとバジルの横で彼らも別の恋愛駆け引きをしているのである。その点から第3幕において、メルセデスとエスパーダが登場し2人の結婚を祝福する意味はとても大きい。この2人も愛を確かめ合い、ハッピーエンドとなるのである。この2人の踊りはグラン・パ・ド・ドゥへの架け橋となるものであり、大変自然な流れとなっていることに筆者は感動したのである。

そして、ドン・キホーテは森の幻想を見てから、ドゥルシネア姫への愛を再確認して、絶対に彼女を救い出すのだと誓ったところから、現実ではキトリの父親に迫って結婚を承諾させるという流れになる。決して老爺の気まぐれ、思いつきなどではなく、ずっと思っていたあのドゥルシネア姫を助ける、という騎士道精神のようなものがここで一応果たされているのである。

父親も父親で、バジルは死んだのだからまあ冥土の土産程度に、という思いで2人の結婚を承諾したのか、それとも自殺の真似をするほどまで思い詰めているのならば仕方がない、という思いなのか、作中の演技を見るとおそらく前者なのではないだろうかと筆者は想像し、ワクワクした。

また、風車が回り出すのも突然の嵐によるものであるとか、人形劇は父親と婚約者の目から逃れるためにキトリたちが隠れ蓑として演じていること、人形劇を壊す理由はキトリたちを見つけたから、など細部につながりが見られる点が大変面白い。「だから、こうなるのか!」という映画のような感動を味わう。

以上が張り巡らされた伏線が全て回収される面白さについてである。

次の感動ポイントは、振付である。ワシーリエフ版は「様式美」とでも言おうか、グラン・パ・ド・ドゥや有名なバリエーションで大変見栄えのするポーズや振りの流れを作っている。例えばグラン・パ・ド・ドゥのアダージオは、アン・ドゥ・ダンの後にキトリが大きく上体を横に伸ばしたアテテュードを入れ、バジルが反対方向に腕を伸ばし、左右に広がった大変美しいポーズが組み込まれている。一瞬なのでああ、アダージオか、ぼーと思っていたら、はっ!!とする瞬間を見逃してしまっていたかもしれない。また、キトリ第1幕のカスタネットのバリエーションでも、発表会などで踊られる普通の振付とは足を下ろすタイミングが異なるなどの違いがある。また、エスパーダの踊りも難しい技術が盛り込まれた部分、他のバレエでは見ない、一種体操的なステップなど、大変素晴らしい振付となっている。

そして感動ポイントは、演技である。ワシーリエフ版のキャラクターはどれも大変濃く作ってある。まず、バジルの演技は「チャラチャラ、女たらし、色男、イケイケ、オラオラ系」といった言葉が当てはまる。エスパーダはキレキレの踊り、強い目線、色気、つまり語っているとすれば巧みな口説き、キザ、といった言葉が当てはまる。キトリのキャラクターは明朗活発、お茶目、負けん気、語るとすればおきゃん、まあこれはどの版でも似ているだろう。メルセデスは成熟、自由奔放、そしてこの版は街の踊り子を兼ねていると思われる。

最後の感動ポイントは、これはバージョンとは関係ないが、ダンサーたちをまた見ることができた感動である。私は小学生からクララを読んでいて一応クララに乗っている有名ダンサーは所属バレエ団などを覚えるくらい読んでいたし、U25チケットで見に行くようになってからはより多くのダンサーの顔と名前が一致したし、バレエホリディのファン向けイベントにも参加して、あの人はあんな話し方をするのかなどと覚えていたし、ダンサーとともに成長してる感覚もあった。秋山さんの主役デビューに喜び、秋元さんは立ち姿からもうバジルっぽいなと思っていたらもうそのままのイメージだと感動し、上野さんはバレエ公演で初めて見た(実は公開レッスンを見学したことがある)ので圧倒され、柄本さんは素かと思うほどの自然なチャラさと思い、このペアどちらとも雰囲気がよく合ってるな、とか、宮川さんってこんなにキザなエスパーダなんだ、とか色々思った。3月の「ラ・シルフィード」以来の再会に感動し、皆さんお変わりなく踊っていらっしゃって良かった、、などと安堵していたのである。

こういった感動を元に昨日の記事の考察へ思考が至ったのである。

と、東京バレエ団だけでこんなに長くなってしまった。今回はここまで。


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