書くことは「生きること」そのものだから。
「Maicoさんはどうして毎日書きつづけられるのですか?」
と聞かれることが増えた。
わたしはなぜ、毎日書きつづけられるのか?
だれに何を言われようが、書きたいことを書けるのか?
それは「生きること」そのものだからだと思う。
好奇心旺盛で、次々に興味の対象が移ってしまうわたしは、なんでも長続きするタイプではない。
でも「書いて発信すること」に関しては、ときどき休憩をはさみながらも結局10年以上つづけている。
だれかに書いてと頼まれたわけでもない。
フォロワーが多いわけでもない。
毎回たいして「いいね」や「スキ」の数が多いわけでもない。
今は収益化をしているけれど、ブログを書きはじめてから10年は、お金も発生しないけど書きつづけてきた。
なぜ書きつづけてこられたのか?
それはもはや「呼吸すること」と同じだからなのだと思う。
人は、呼吸できなければ死んでしまう。
生きていたら、色んな感情が動く。感性が刺激される。
そうやって何かをインプットしたら、何かしらのかたちでアウトプットしたくなるのが自然なことなのではないだろうか。
それぞれ表現方法はちがえど、人は心が動いたら自己表現せずにはいられない生き物なのだと思う。
幼い子どもが「ママ、みて!」と言ってなにかを披露したがるように。
そして、自分が良いと思ったものを、まわりの人にも分かち合いたいと思う生き物なのではないだろうか。
幼い子どもが、「はい、どーじょ。」となんでもプレゼントしたがるように。
書いて発信することは、わたしにとって自己表現の手段であり、だれかと気持ちを分かち合う手段なのだ。
でも、それは手段であって、それ自体が目的ではない。
だって、書くことは生きることだから。
呼吸することが目的だから。
つまりそれは、外側のなにかによって左右されるものではないということ。
まわりから反応がもらえないから
みんなに承認してもらえないから
いいねやスキがもらえないから
という理由で、書けなくなることはないし、
まだそんなに経験があるわけではないけれど、
たとえ批判されたり誹謗中傷されたとしても
書くことをやめることはないと思う。
先日、テレビ東京の「あちこちオードリー」という番組に、芸人界のレジェンド山田邦子さんがゲストで出ていて。
20歳でデビューして、30代の頃にはレギュラー番組が14本、タレント好感度調査8年連続1位など超売れっ子だった邦子さん。
しかし当時は昭和の時代。
「『バカ・ブス・死ね』は毎日のように言われた。『なんで結婚しないんだ』『なんで子供産まないんだ』毎日毎日言われた。」
そう語っていた。
しかし60代になった今でもなお、舞台に立ちつづけている理由を聞かれて、
「生業だから。」
と言いきっていた姿がカッコよかった。
正確な辞書の意味としては、
生業(なりわい)=生計を立てるための仕事
という意味だけど、
舞台に立つこと = 生きること
そんなエネルギーをわたしは邦子さんの言葉から受けとった。
書くことは生きること。
だから今日もわたしこうして書いている。
まだまだひよっこだけど、いつの日か邦子さんのように
「書くことが生業だから。」
と胸を張って言えるようになりたい。