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鮮度重視の発信したい言葉たち。熟成させたい物語たち。

noteを更新するようになって気付いたことがある。私がnoteで書くのはエッセイ、コラム系、あと小説。

エッセイ、コラム系と小説じゃ、もちろん文章の毛色が違う。

新たなアプローチ。小説家をめざす会社員の試み。
小説を書くまでの経緯と葛藤

上記参照なのだが
今までずっと、小説ばかりをもくもくと一人でどこかに公開するわけでもなく、書いてきていた。
noteを始めてから、小説以外の文章を書き、発信するようになった。
いわゆる、エッセイ、コラム系。

毛色の違う文章を書くことによって、今までの創作活動では体験しなかった刺激を感じるようになった。

一つの長い物語に向き合い続けていると、
(今まで、半年や一年くらいかけて書き上げるような物語ばかり書いてきた)
マンネリやスランプを感じやすい。

しかし、エッセイやコラムなども書くようになると、書き手としてのマンネリやスランプを感じにくくなってきたと思う。

エッセイ、コラムなんて、何の専門性を持っていない、私に、書けるネタなど大してなかろうと思っていたのだが、書きたいことが出てくるわ、出てくるわ。自分でも驚いている。
公開はしていないが、発信しようとしているネタやアイディアはnoteを始めてから、どんどんと増えていく。

あ、こんなに自分には言いたいことがあったんだ。こんなにも吐き出されずに飲み込んできた言葉たちがあったんだ。と気づかされる日々だ。気負うことなく、素直にことばにすることで、正直になれているように感じる。

とはいえ、
noteのクリエイターの中では、私は決して、更新頻度が高いわけではないと思う。毎日更新されている方もいる。

これは、まだまだ私が文章を書く鍛錬が足らないのだと思うが、一つの記事を作成するのに時間がかかる。だいたい2、3時間、悩んだものなら6時間掛かっている。

となると、日常生活、会社員生活の中で上記時間を毎日欠かさず、捻出するのは難しい。
だいたい、平日に書きたいこと、ネタ、アイディアを思いついて、休日、腰を据えて書こうとするときに書いている。
休日もどこかに出かけたりと、平日の疲れを癒すのに集中していたりすると、休日の執筆タイムもぎりぎりということもある。
しかし、休日どちらかには更新したいなあと思いながら続けている。

数は多くなくとも、私のnoteにも読者がいることを意識するのである。見てくれている人がいるというのは、文章を書く張り合いがでてくるものだ。

本論に戻る。
エッセイ、コラム系の文章のアイディアというものは、ふとしたときに湧き上がってくる。通勤時間、ほっと昼休みをとっているとき、あるいはnoteや他の媒体のクリエイターや物書きの文章に触発されてなど。
休日の執筆タイムまでに忘れたくないから、手持ちのスマホにアイディアをメモすることも多々ある。で、だいたいメモしているときは、今すぐにでも文章を書きたいとうずうずしていることが多いのだが、時間や状況が許してくれない。書くことはできないけど、私の脳は勝手に言葉や文章を脳内速記していたりする。

そして、
いざ、休日になって、その文章を書こうとすると、
不思議なことに、アイディアを思いついた瞬間のときのような熱量がないのだ。キーワードは思いだせるし、書こうとしていた文章の雰囲気もわかっているのに、あまり書きたいと思えないのだ……。
あれほどまでに、脳内速記されていた文章たちはどこへ消えたのやら……

文章というのは、書き手がこれを書こう、これを伝えたいという熱量がないと、なかなか書けず進まないものだ。

なるほど、鮮度が命なのか。
スーパーの食品売り場で瑞々しい野菜を買ったとて、なかなか使いきれず、何日も冷蔵庫の中に居すわり続けていたら、しなびて美味しそうではなく、料理したいと思えない。
私のエッセイ、コラム系文章のアイディアというものはそんな野菜のようだと思う。
(実際に、この文章も、いまさっき、とれたてほやほやの野菜を料理したものだ。調理をあきらめた、平日のスーパーで調達した野菜は冷蔵庫でしなびている。)

逆に、
小説は熟成されてこそだなあと思っている。物語というものは書き手の思念や記憶が長い時間かけ深い味わいを生み出している。
裏をかえせば、熟成させたいものでなければ、わざわざ手間暇のかかる小説にしたいと思わないのだと思う。

そして熟成させたいものというものは、そうは、簡単に見つかるものではないよなと思っている。
小説家になりたいと思って、しばらく、ずっと小説を書き続けてきたが、あるときからしばらくブランクが空いた。noteを始める直前まで、約1年間ブランクだった。
会社員としての生活が忙しくなったからとか、小説で自分以外の人生を書いているくらいなら、自分の人生の物語を進めたほうがいいんじゃないかとか、そんないろんな葛藤があった。
そのブランクというものは、才能の枯渇というか、創作熱が冷え切ってしまったかのようで怖かった。
私は小説をずっと書き続けていくんだと周囲に言っていたのにもかかわらず、その一年は実際は書いていないというのが果てしなく怖かった。

新人賞の公募小説にチャレンジし続けて、なかなか芽が出ず。
やはり好きなだけでは通用する世界でもないのだなと、自分の才能の有限性に失望し。
そして、
どんどんと、小説や創作そのものが高尚なものだと勝手にハードルをあげていた。

noteという場所を見つけて、気軽に発表してもいいんだよという空気を知り、いままさに、また創作を再開している。

気負わず、私のできるペースで、好きだからこそ、創作を続けていきたい。


連載中の小説『あしたの転機予報は?』はnoteで気軽に書いて更新しているものではあるものの、
ほんのり熟成させております。
よければ、ご賞味あれ。


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