自分を慈しむ瞑想
慈悲の瞑想はあるけれど、それとはちょっと違う。
か今日は意識をしたつもりではなかったけれど、瞑想をしながら自分への慈愛の感覚が湧き上がって来た。
不思議な感覚。
嬉しい感覚。
ただただ呼吸に意識を向けてみようとしたところ、いつものように顔に強張りを感じる。
力を入れているつもりはないのに、なぜか顔の微細な筋肉は勝手に強張っている。
こうして瞑想を始めるといつも感じる。
普段は意識してないけれど、実際気付いてないだけで、やはり強張っているのかしら。
ただそれに気づく。
何とかしてあげたい。緩めたいと思う。
でもそれも手放そうとしてみる。
そうしていたら、何とも自分をそのまんま慈しんであげたい、そんな感覚が訪れた。
深い愛を持って包んであげたい。
その愛に包まれて身体が喜んでいるのも一方で感じる。
自分の中で愛で包み込む私とそれを受け止めて安らぐ私がいた。
こんな風に自然と素直にこの感覚が沸き起こったのは初めてな気がする。
何とも無理のない優しい自然な形で。
だからこれは書き留めておこう。
この感覚に感謝しながら。