鳥の足
私は何か人と違う。
ちょっと言っていることが外れている?
話がだいぶ飛んでいる?
そんな風に感じている時がある。
いや感じている時というか、いつも根底にそういう不安がある。
変な事言ってない?合ってる?
最近、ふと子供の頃のあることを思い出した。
保育園でお絵描きの時間にみんなと絵を描いていた。
私は鳥、ヒヨコのような絵を集中して描いていた。
あー、そういえばお姉ちゃんはいつもこんな風に描いていたよなーと自分なりにお手本を浮かべながら。
人は何事もマネすることから学習は始まるという気もするし、きっと自然にそうしていた。
そして目の前の自分の絵を見てハッとした。
鳥の絵を描いていたのに、足が人間の足😲
足を描いている時に姉が描いていた女の子の絵がお手本になってしまっていたのだ。
我に返って、ぎゃ、恥ずかしい!と思う。
まだ3歳くらいの子供でも自分が間違っていて、変なことをしてしまったということがわかった。
記憶はそこまで。
隠してしまいたい、人に見られたくない、そう思ったというところまで覚えていて、その後お友達に何か言われたのかとか、どうだったのかは覚えていない。
誰も人の絵なんて気にしてなかったのかもしれないし、何か言ったとしてもすぐに忘れてしまうくらいのことだったのではないか。
ただ今でもこの鳥の絵がいつも頭にあるような気がする。
私のなんか違ってない?これで合ってる?
という感覚。
また鳥に人間の足を描いてしまっているんじゃないか?という不安。
もし他人がそういう絵を描いたら
今の私はどう思うだろう?
ここに何があるんだろう?
何を意図してるんだろう?
私はきっと興味深く見る。
その奇妙さを面白がるだろう。
他人のことであれば。
それに、もし意図したものでなくても
間違って出てきたからこそ生まれるものってきっとある。
そんな風に考えられる。
でも普段の自分は
他人と違っていること、離れていることをとても怖がっている。
違う事が本当は楽しいのに。本当の自分は。
この鳥についた人間の足。
これは私のちょっとしたトラウマ、脅威のようになっていたのだと思う。
他人と同じでないと何かいけないように感じてきた。
誰もそんなこと求めていないのに。
こんな風に考えてくると、
幼い頃に描いたあの鳥の絵がだんだん
可愛く思えてきて
今は額に入れて飾ってあげたくなってきた。
残念ながら、もうないけれど。
こんな独創的なことをもっと生み出そうよ。
と声をかけたい。
私の心に新しく掛けなおしてみよう。
あの奇妙な鳥の絵を。